2024/11/05 10:00
日曜朝6時30分、最寄りの地下鉄駅から東京駅に向かう。
日曜の朝なのになのか、朝だからなのかわからないけれど、
たくさんの人が同じ車両で同じように座って運ばれている。
わずか10分で地下通路を抜けて東京駅に到着したことに、
移動手段としては便利過ぎる町に暮らしていることに今さらながら驚く。
目が回るほどの人混みを潜り抜けて新幹線改札口に向かい、
機械が反応する速度に負けないほどの速さで改札を通り、
旅立ちを待つのではなく、何か別のコトを待っているように思えて、
苦手に感じている待合室を避けて、東京というものを目の当たりに出来て、
風が流れる新幹線ホームに上がり、気取ったカフェのテイクアウトではなく、
昔ながらのレギュラーコーヒーの自動販売機で何が特別かは知らないけれど、
スペシャルブレンドコーヒーを濃いめで購入して、自動販売機さんに
どうぞと言われているように腹部の扉が開き差し出される熱々の
コーヒーカッブを両手で包み、いつの間にか変わった風に冷えた手を温め、
乱反射した朝日を浴びる、何万人もの人が一日をはじめる高層ビル群を眺める。
そして、この先数時間の我慢になるタバコを吸うために、
追いやられたような端っこに設置された喫煙ルームで一服を楽しむ。
出発の儀式をひと通り終えた朝7時過ぎ、出発準備の整った列車に乗り込み、
久しぶりの長旅になる自席を長時間仕様に整え、腰を落ち着かせる。
購入時には空席だった隣がずっとこのままならば、と自分勝手な期待を寄せる。
はじまりを知らせるベルと機械的なアナウンスと共に扉が閉まり、発車する。
走り出す前と地下を走る間には手をつけないという独自の駅弁ルールを守り、
地上に出る前のもうひとつの東京の終着駅、懐かしの上野駅に滑り込む。
ほんの少しだけ乗り込んできた利用客のうちの一人から声をかけられ席を立つ。
東北に帰ると想像する旅支度のスーツケースを運ぶ老婦人を手伝い荷台に上げ、
座席が安定したころには朝の光が差し込み、ようやく旅が始まる。
隣に気づかれないことはないけれど、出来るだけ静かに缶ビールの栓を開け、
朝昼一緒の駅弁でささやかながら、何の祝いかわからないまま、
気づけば熟睡している隣人に安堵しながら、小さな祝宴をはじめる。
たぶん、きっと大宮あたり、その頃には寝落ちして、気づいたら仙台にいる。
次に起きたのは福島、どんだけ寝るんだっけ自分、と思いながらも、
次に目覚めたら在来線利用の見知らぬ駅をいくつも停車して到着。
午前11時前の新庄駅ではコートを着てきたことに安心しながら冷たい駅前に出る。
目的の町に向かうバスを待つ停留所では、自然に挨拶や言葉を交わす自分に気づく。
誰もいないバスに乗り込み目的地に向けて発車した30分後、
ニッポンの原風景が眼下に広がる坂を下り、町の中心地に到着。
朝、自宅を出てから5時間後に全く知らない初めての町に降り立つ。
杉の産地として栄えた町を見下ろす山々から霧が立ち上ぼり、
余計なモノが一切なく、整然とした美しい町並みは澄みきった空気に包まれ、
人も車も見かけない町全体には清らかな水音だけが静かに響き、
その町の中心地にある母屋と離れと水路が引き込まれた庭を持つ大きな屋敷で、
その午後から催された酒の席に参加した、街を愛するたくさんの人々に出会う。
100年かけて作り上げられた町に暮らす人々は皆、口を揃えるかのように、
町に誇りを持ち、だからこその将来に対する懸念について熱く議論を交わし、
夜が更けるまで酒を酌み交わし、語り合い、笑い会い、一日を終える。
その場にいられたことがうれしく、呼んでもらえたことに感謝しながら一日を終える。
深夜零時、誰もいなくなったその日の宿にもなるその部屋の外に出ると、
冬の到来を感じさせる空気と静かに流れ続ける水音と冷たい雨音に、
久しぶりに大きく深く、ゆっくり、たっぷりと深呼吸をしている自分がいて、
久しぶりに雑音の全くない就寝に気づけば朝6時になっている。
雨上がりで更に美しさを増した町をこれもまた久しぶりの早朝散歩をする。
どの家にも他者を遠ざけるような塀や囲いは見られず、家々の庭は整えられ、
寝癖のままで庭掃除をする小学生や犬の散歩をさせる町民と朝の挨拶を交わし、
冬支度の始まった雪囲いを懐かしく眺めながら、山裾に向かう。
イザベラ・バードも訪れた丘で町をまた眺め、昨晩聞かされた、
100年後を見据えたまちづくりに50年かけた町長の銅像に挨拶をして、
その町長が整備した水路、大堰に沿って町に戻り、新しい一日をはじめる。
とても清らかな気持ちで迎えられた久しぶりの朝に感謝する。
朝8時30分の新庄駅。すでに開店している物産店で案内された、
8時45分に配達される駅弁を待ちながら、レギュラーコーヒーの自動販売機で
濃いめのブラックで購入したスペシャルブレンドコーヒーで朝を楽しむ。
土産物を物色しているうちに地元の人が次々と手作りで仕込んだ弁当が配達され、
各種色とりどりのなかから、名前に惹かれた「上京物語」を購入し、
朝ビールを冷えたままに出来るバッグにしまい、旅立ちを待つ列車の自席に運ぶ。
そしてまた、数時間の我慢となるタバコをホーム端っこの喫煙ルームで楽しむ。
何だか楽しく、うれしく、やさしい気持ちで一日がはじまる。
数人で発車した車内には、平日の朝らしく通勤利用の乗客が乗り降りし、
福島を過ぎる頃には、まさに、上京する人々がそれぞれの席でその時を待っている。
もちろん、駅弁ルールを守って食した朝昼一緒の食事と朝ビールで寝落ち、
その後も寝たり起きたりを繰り返した午後1時45分に東京駅に到着。
今までにない感覚の懐かしく、帰ってきたことに喜びすら感じている自分がそこにいる。
戻ってすぐに気づいたことがある。
人間の行動とは全く別のところには、常に何かが動き、何かの音がある。
時にはそれがストレスになったり、そうでなかったり、何も感じなかったり、
そういう人々が暮らしているのが、ここ東京なんだろうな、と。
無論、そういう自分も35年も暮らしてきたなかで、今更ながら気づいたほどに、
普通に、気にせず暮らしているし、生きているし、寝られるし、好きになっている。
だから、なおのこと他者や町に気を配りながら暮らしていきたいと思える。
2分で着いた有楽町駅からは歩いて10分、やっぱり便利だなと思いながら歩く。
山形県最上郡金山町、人々に愛され、気高く美しく、清らかな水音が響く町。
必ず、絶対に、また、何度でも行きたい、そう願う。
令和六年 冬のはじまりを体感した気高く美しい町で
栗岩稔