2024/10/29 10:00

今、ラジオからPRINCESS PRINCESS「M」が流れている。
1988年秋のリリースだから、ちょうど二十歳の頃の懐かしくほろ苦い記憶が甦る。
全くやさしくなく、人に気を配ることも出来なかった当時の自分が上京する時、
地元に残される人の気持ちなど全く考えることもしなかったあの時、
仲良くしていた女性から別れ際にこの曲を教えられて聴いた。
ただ流れに任せて東京に来たあの時の記憶が鮮明に甦り、申し訳なく複雑な思いになる。
東京で仕事をする。その事すら誰にも相談せずに、当時の上司からの打診で即決した。
即決と言っても潔いものではなく、ただ「あー、そうか」みたいな感覚で、
まだ見たことも行ったこともない、名前しか聞いたことのない街で働くことを決めた。
文字通り、右も左もわからない大きな大きな街、地元で一日で出会う人の数が、
一瞬ですれ違うほどの人混みに紛れて生きることになった。
何の憧れも目標も希望もなく「あー、そんなもんかな、ダメだったら帰れば良いか」
そんな軽い気持ち、他人事のような無責任な心持ちで田舎町から大都会への異動になった。
バブル経済絶頂期の百貨店で服飾業界、特に海外人気ブランドに所属だからよく売れた。
飛ぶように売れるから成績も勝手に付いてきて、浮き足だった世の中で、
地に足つけて、なんていうこともなく、流れに任せて世間の流れに乗っかっていた。
夜行列車で旅立つその日、両親は改札口まで見送りに来てくれた。
特別何かの言葉を交わすこともなく、改札を出て列車に乗り込んだ。
車窓から見る両親は涙していたかもしれないけれど、そのことを気にかけることなく、
到着した朝からいきなり始まる一人暮らしと大都会に対する不安と期待、
そんな気分に襲われて、親に感謝どころか、ひとまずのお礼も言わずに出発した。
そんな両親も今では九十歳を越えて、立っていることも儘ならなくなった。
母親は月に数回の通院には車椅子と介護タクシー、父親は高血圧で月に一度の通院。
二人ともに近所付き合いが多く、たくさんの「ご近所さん」に囲まれて楽しく暮らし、
外出も好きだったから、運転好きな父親に免許があるまではよく出掛けていた。
けれど今は、立つことすら難しく、日々の暮らしが自宅の限られた場所になった。
二人が並んで改札口に立っていたあの時から、三十五年の月日が流れていた。
先日、頑丈だと思い込んでいた父親が検査のため急遽入院した。
これまで記憶にある限り家を空けることのなかった父が家を空けた。
出張やら社員旅行やらで外泊すること以外は家にいないことがなかった父がいない。
慣れない病院のベッドで寝ている姿が全く想像出来ないけれど、
生粋の営業マンだから、担当医師や看護師に話しかけて笑わせていれば良い。
けれど、ここ最近の様子を知る限りはきっとそれもない。
そんなこと考えながら愚息の自分はここ東京て落ち着かない時間を過ごした。
久しぶりに父親のことばかりを考えている週末になった。
日曜日、面会は出来ないけれど、家の片付けと諸々の都合で帰省した。
普段から姉と義兄に世話を任せきりなことに対する詫びも含めて家に帰った。
作業を終えた昼食時、久しぶりに実家の食卓を囲んだけれども、
いつも父親が座っていた席には誰もいない、母親には狭苦しいから、
そこに座ってゆっくりしろと言われても、何だか座ることは出来なかった。
一応長男だから、そういうことになるのだろうけれど、まだ座ってはいけない、
そう思ったし、どうしても座ることは出来なかったし、許せなかった。
父親がそこにいて、姉家族と自分がそこにいて母親がしゃべり続けた昼食の時、
義兄と自分がそこにいることがうれしそうに、痛む膝を無理して立ち上がり、
冷蔵庫から缶ビールを三本持ってきた姿、深酒はしないけれど酒の席が好きで、
子供の頃にはほとんど喋ることのなかった父親が歳を取ったらよく喋り、
酒の気遣いも好きだから、まだ飲み終わる前から次のビールを持ってきて、
姉にきつく注意されていたけれど、うれしそうにしている姿を思い出した。
この先、お決まりの晩酌のことすら忘れてしまい、許されなくなるだろうと思いながら、
そこにいるべき場所に父親がいない家を初めて実感した日曜に、
目の前では気丈にしている母親の姿も重なって切ない午後になった。
面会にはいけないから次に会うのはあの席でビールを飲めることを願いながら、
昔よく散歩した公園をいつもよりもゆっくりと歩きながら駅に向かった。
景色を変えた駅前に偶然、以前父親と行ったラーメン屋のキッチンカーが止まっていた。
少し余った時間をギリギリまで、もつ煮と生ビールで喉を潤しながら、
ラーメンまでたどり着けない年齢になった自分を実感した。
当時と場所も形も変えた改札口を抜けて、秋の冷たい風に吹かれるホームに上がった。
これでまた、あっという間に東京に運ばれて、あの日の五分の一の時間で到着する。
時間も新幹線も月日もあっという間に流れ去る、そんなこと…。
令和六年 子供の頃好きだった「世界の車窓から」を思い出しながら
栗岩稔