2024/10/01 10:00

ソフトとハード。コンタクトレンズの話ではなく、中身と外見の話。
そんな話をする機会があった。長らく何かとお世話になっている、
国際的企業の代表として活躍しながらも、学ぶべきことがあるから、
そう言って様々な場にも多用の中で時間を割いて訪ねてきてくれて、
いつも多岐に渡る話をしている男性と、今回はイベント会場で話した。
その日は老舗百貨店の酒を中心とした催し物会場に開設された酒場で。
その後で考えた。今目の前にある酒のビンと酒そのもの。グラスと氷と酒。
これも中身と外見、ソフトとハードなんだと。だからバランスが必要だと。
きれいな器に盛り付けられた料理、その料理を提供する店とスタッフ、もそう。
立ち食い蕎麦フリークとしては、陶器のように見えるプラスチックのどんぶりとそば。
よりも、大量生産されている丈夫で割れない陶器のどんぶりか良い。
その方がうれしいから、そういうお店を選ぶ。もちろん美味しいことは当たり前。
そこにかける予算や経費、売上などの計画、期間限定、臨時開催に至っては、
その期間だけにかかる予算と見込みのバランス、関わる人の労力と手前。
そういうことを考えることは当然、必要なことだと理解しているし、仕方がない。
ここ数年、様々な街や場所で酒と酒の場を演出してきた。
そこでは、ひとつだけ絶対に譲れないものがあって、そう決めていることがある。
それは、ホンモノであること。
酒はもちろん、グラスはガラスで氷は、そこら辺で買えるものではない貫目氷。
それは何故か。単純に、美味しいものと時間を提供したいから、ただそれだけ。
準備、運搬、片付けなどの手間を考えたら、送れるものは送って残りは現地調達、
そうすれば良いのだろうけれど、プラスチックのコップてコンビニ氷、
それで酒を提供するなんてことはありえないから出来るだけそうしている。
これまでずっとグラスや氷を運んできた。遠方だったり運べない物量の時は別にして、
自分の手で運んできた。手間がかかる、面倒臭い、大変だから、とか考えることなく、
大切はことだから、そうしてきた。自己満足かもしれないけれど、
そうすることで皆さんに満足してもらえればそれで良いし、当たり前だと思っている。
先日、ある撮影のために氷とアイスピックだけを持って参加した。
自分の事ではなく氷が参加するために撮影に立ち会った。
長い時間をかけて試行錯誤しながら作り上げられたグラスと、
それを作った職人とデザインした男たちの告知用の撮影現場。
自分の名前は決して出ないし、出して欲しくない。氷が出るからそれで良い。
その依頼は打ち合わせの時点で氷は近所のコンビニ手配、で進行していたけれど、
果たしてそれで良いのか、ということになったらしく、直前に関係者から頼まれた。
そこで思い出してくれたこと自体がとてもうれしく、ありがたいと思ったし、
意気に感じたから、当日の予定に一件加わり、結果的には開店前に三件の予定で埋まる、
そういうことになったけれど、朝の光が美しい青山の街に氷とアイスピックで馳せ参じた。
数日後、美しいグラスに入ったラフロイグとぞれを持つ男たち、
その美しく素晴らしい写真がとてもうれしかった。
ソフトとハード、中身と外見、人間もそうかもしれないと思う。
体調ということでは、気力と体力のバランス、それが崩れれば不快な思いにさせる。
大切な時間を台無しにしてしまった、そういう失敗もたくさんしてきたし、
今でもそうなのだから、反省が尽きることはないし学びがない。
今だからこそ、自責の念を持って自分に向けて今ここに書いている。
歳を重ねるたびにに当然体力は衰える。
気力だけで持ち上げることも出来なくなってくる。
だから、そのバランスを保った位置が下に下がってくる。
でも、それを保ちながらいたいと思う。
外見は歳を重ねたままに見えるのは当然で、
中身は機が熟す、醸されている、そんな風になればれ良いし、そうなりたい。
まだまだ精進が足りていないけれど、そうなりたい、と思う。
ソフトとハード、中身と外見、心と身体、そんなこと。
要は酒場と栗岩稔、そういうこと。
今回は気力と体力(知力も)のバランスから、この文字数でご勘弁を。
令和六年 銀座起業の物流会社の新社屋の外観を眺めながら
栗岩稔