2024/09/24 10:00

暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言ったものだと思う。
早朝や深夜には草むらでコオロギが鳴き、空の色や雲の形、風の向き、
そんなことにほんの少しだけの秋、ほんの少しだけ感じているこの頃、
お天道様専用の暦でもあって切り替えを「はい、ここから」みたいに、
切り替える時期を決めているのかと思うほどに彼岸を迎えると同時に移ろう。
とは言っても、毎年毎年記録が更新される猛暑日の数やその高温が続いた夏、
九月も中旬を過ぎて秋の彼岸を迎えても残暑どころではない酷い暑さが続いた。
こんなに暑さに負けたと感じる年はなかったし、収まってからのこれから、
身体の芯に残っていた疲労が滲み出してくることが今から気にかけている。
けれど、踏ん張り時の今、気力と体力の均衡をとるように気をつけながら、
無理矢理持ち上げることなく、自分の今現在の心身と向き合っている。
ただ、こんな風に考えられるようになったのも歳のせいだと思っているし、
それに抗うことなく受け入れている自分が面白いし、それを楽しんでいる。
ぞろそろ、五十五年目の年を終える今だからこそ、生業と決めたこの仕事、
それと共にある生き様を「ちゃんと」していけるように心がけている。
とまあ、こんなことを徒然と考えるようになった彼岸の頃。
彼岸は彼の岸、彼の世、此の岸の此の世にいる今まで彼の岸のことを
考えることなど全くなく、想像することも出来なかったけれども、
年老いた両親に接する機会が増え、自身の衰えも受け入れている今、
もちろん、まだもう少しだけ先のことなんだろうけれど、
彼の岸のことも何となく想像したり考えたりするようになった。
もうだいぶ前に彼の岸と此の岸を目の当たりにしたことがあった。
まだ夏真っ盛りに訪れた島には、荒物、金物、八百屋、パン屋、生活雑貨屋、
それぞれ一軒ずつなのに二軒あった花屋の店先には定期船で運ばれる生花が
その輸送の問題で少ないことは当たり前だし、しょうがないけれど、
それ以外に造花がたくさん、生花の代わりに少しだけという感じではなく、
様々な種類で色とりどりの小ぶりの造花がたくさんあった。
大都会の生活から島の生活をするために移住した知人も当初は疑問に思ったらしく、
違和感を感じていた自分を明解な答えで導いてくれた。
島には先祖信仰が篤く広まっていて、毎日と言っていいほどに、
先祖から受け継いでいる墓を訪れて花を供えてお参りをするとのこと。
見晴らしの良い高台にあって潮風に吹かれる墓には枯れることなく、
そこできれいにあり続けられるから造花が適しているからだと。
島に上陸した時から感じていた独特の気配がそこにあると実感した。
島にいたのは夏の終わりのお盆の頃。
帰省した島民の数もあわさり、こんなに人がいたのかと思うほどの盆踊り。
その灯りのもとに集う人の数、昔から島を出ていくことを前提としていて、
ひとりでも二人でも島に残ればよいという考えのもとにある子だくさん、
だから、子供の数が多いことは納得出来るけれど、それまで島内ではほとんど、
全くというほどに見かけなかった老人の数の多さに驚きながらボンヤリ眺めていた。
どうにもこうにも気にかかってきた時、いつからそこにいたのかわからない、
隣で静かに座る老人に話しかけてみたところ、「あー、あんたには見えるんだね。」
そう微笑みながら答える老人の言葉に、目の前で揺れているやさしい灯り、
その下にに集う人の数の意味が理解出来たし、そのたくさんの灯火が心地よく、
その大切な夜にそこにいられたことがありがたく、心穏やかで安らかだった。
あの日の彼の岸と此の岸の境目のよう島の夜を思い出しながら今ここで思う。
彼の岸に渡るのはもう少し先、だとは思うけれど、そうなる前に、
先祖のことや墓のこと、これから先のことを考えなければいけないと感じる。
途絶えることになるであろう父から継いだ上田の栗岩という家、
血は繋がるけれど、名前は、これからの時代にどうかわからないけれど、消える。
そんなことに考えを深めていた彼岸の頃、此の岸では嵐のような大雨が降り、
大粒の雹が落ちてきたり、竜巻が吹き荒れたり、酷い暑さの自然界。
方や人間界では代表になりたい人たちの心に響かない言葉が溢れ出し、
日本の海にはミサイルが落ちたり、外国船団が通過したり、
異国の地で暮らす子供が理不尽におそわれたり、大陸には爆弾の雨が降る。
とにもかくにも、もうお腹いっぱいの暑さが収まり、何とも言えなくざらついた、
此の岸の騒乱が収まり、誰もが一瞬ても仲秋の月を見上げたように、
清らかで美しい秋の此の岸になって欲しい。
ここ数年、だんだん短くなっていくこの美しい季節が長く続き、
穏やかで安らかにいられる此の岸であって欲しい。
意思に反して突然彼の岸に渡されてしまう人の数が少しでも、
もちろんゼロになることはないけれど、少なくなればなおのこと、
心からそうなって欲しいと願っている。
海でも山でも島でもなく、コンクリートで覆われて造成された緑地が多い大都会、
予報よりも気温がだいぶ高く、風の向きすらわからないところにいる今、
此の岸がここであることが良かったと、この歳になって思えるし、好きになっている。
そう思っていることはまやかしでもなく、口から出任せではなく、
今ここにいることを楽しんでいる。もうしばらくは此の岸はここと自然に思える。
秋雨前線が南下してきた夜、この街でも雨降り前の雨の匂いがした。
悲しい雨になりませんように。
令和六年 暑さ寒さも、を願う秋分の頃に
栗岩稔
追伸、あ、ラジオで天気予報士がもう少しで暑さが収まると言ってる、けれど…。