2024/09/03 10:00

最近、人生の岐路、分岐点のようなものを考えることが多くなった。
それが、後ろ向きなタラレバ、ではなく、選択肢を考えてみている。
それはきっと、多感な年頃を戦時中に迎えた昭和一桁生まれの両親と
頻繁に接する機会が増えたから、なおのこと、なのかもしれない。
あの時代には選択肢というものはないに等しく、あーしたい、こうしたい、
そう考えてみたところで、もしかしたら考えることすらせずに、
こうあるべき、こうするべきという、家の事情や当時の風潮から決められたり、
生きることすら困難な時代だからこそ、そういうことが多かったのかもしれない。
だから自身のことを振り返ると、迷いながらも今こうして生きてこられたことに、
ありがたいと思うし、反省もしたり、今さらだけど両親に詫びたいとも思う。
それにしても迷いながら生きて、生きてこられたものだと、苦笑いすることもある。
あの時の自身の判断が違っていたら、あっちの道、こっちの道、
その道が違っていたらどうなっていたんだろうかと思う。
その分岐点のような時期は不思議と、二十歳、三十歳、四十歳と、
ほぼ十年おきに、自分の考えだけではなく、外的要因もあって、
そこに分かれ道があったことにも気づく。
二十歳の時は東京か上田か、三十歳のときは鎌倉かニューヨークか、手仕事か会社員か、
四十歳の時は中央区か港区か、独立するか組織に属するかなどなど。
その生業そのものの変化、その内容だけみてもどうだったんだろうと思う。
でも、二十歳の時の流れにまかせて受け入れた道、決して自身が望んだわけではない道、
それとその時代が一番の分岐点だったんだろうな、と今思える。
東京か上田か、特に今は月に二度三度、地元の町を歩くことがあるから、
この町にずっといた場合の自分の今を全く想像出来ない。
でも、どうにかして生きていて、なるようになったんだろうな、
何の仕事をしているかすら想像出来ないけれど、そう思う。
あっちかこっちか、あれかこれか、子供の頃にヒットしていた歌謡曲、
渡辺真知子さんの「迷い道」にあったような、迷い道くねくね~♪、だったことは間違いない。
上京して大都会に迷い込んで始まった人生も実際にそうだった。
ただ、東京にいたからこそ、いただいた縁で就いた仕事でアメリカが身近に感じられ、
三十歳の時点では日本だけでない世界を想像して考えることが出来たのだろうし、
三十代で実際に欧米を訪れて、たくさん実感出来てはじめて、
日本人としての生活様式のようなことを考えることが出来るようになって、
四十歳になった時には、世界の酒場に人が集う様子を思い出しながら、
自身の当時の集大成ともいえる酒場を作ることが出来たと思うし、
仕事の内容は別にして、二十年以上銀座にいることが出来たからこそ、
五十歳を過ぎて、世界に誇る日本を代表する企業に関わることが出来て、
百年を迎える銀座の町で、その大切な節目に関わることが出来るようになったように思う。
そんなことをただボンヤリと考えざるを得なかった荒れ模様のある日。
史上最強台風が上陸しながらも遅々として、偏西風に運ばれることなく停滞して、
日本全土に暴風雨の勢力を振るいながら迷走していた午後に
その雨風が収まった合間に近所で仕事を終えたからと女性が顔を出してくれた。
一切酒を飲めない彼女との出会いは、三年前のちょうど今頃、
“銀座に庭”を作った人物の名を冠した酒場、酒場といっても当時は、
世界中がパンデミックに襲われ、東京では緊急事態宣言が発令され、
酒を提供出来ないなかで、バーに興味を持ちながら敷居が高いから避けていたものの、
酒がないなら行けると意を決して扉を開けて訪れてくれた。
あれ以来、ことあるごとに様々な酒場に顔を出してくれていた彼女が言った。
あの時がちょうど色々なことの転換期で良い分岐点になった、だから感謝していると。
今日はその祝い、そんなことまで言ってもらい、こちらこそだと強く思う、
激しく降りだす雨を避けるように帰ったあとの静かな酒場の夕暮れだった。
一段と雨風が激しくなり、正直もう誰も来ないだろうなと、窓辺でボンヤリしていた時、
バリスタとして銀座の老舗店で働きながらも、バーテンダーを目指したいと、
十年ほど前に初めて紹介されて出会った男性がパートナーと共に来てくれた。
今ではバーテンダーとして大活躍している彼の少ない休みの貴重な時間を割いて、
悪天候がすぎるなかでも、八月も終わるから近況報告だと話しはじめた。
三十歳を越えて、独自のスタイルと信念と技術で仕事をする彼がこの秋、
これから先の自分のためにアメリカに旅立ち、異国の地でもう自分自身を試し、
納得が出来たら日本に帰ると、穏やかに静かな決意をもって話してくれた。
バリスタとしての仕事自体素晴らしかった彼が、今ではバーテンダーとして、
日本を飛び出して世界で勝負すると宣言してくれたことがとてもうれしく、
十年も前のあの時の出会いが何かのきっかけになったのであれば、
殊更うれしく、こんなありがたいことはないと思えたその時間。
二人が帰ったあと、激しい雨音だけが響く酒場で彼が帰国した時のことを楽しみに、
その頃には自分がどこにいて、どうなっているかわからないけれど、
出来ることなら、また再会したいと心から思えるうれしい夜になった。
この仕事を生業として選んだことを改めて良かった、ありがたいと思いながら、
台風の情報が続々と入ってくるなか、被害にあった方や地域には申し訳ないけれど、
良い一日でやさしい雨になったその日、まだまだ一週間は迷走して、
台風の影響がどうなるかを見極めながら、酒場の準備は怠ることなく、
いつものように扉を開けて待つ、そう思いながら、まあでも、
静かな時間には瞑想、妄想でもしながら待つのだろうな、などと…。
あ、今ラジオからクリスタルキングの「大都会」が流れてきた。
小学校六年だったかな、この曲。これも何かのきっかけだったのかも。
さ、大雨の大都会を歩いて帰ろ。
令和六年 迷走しながら定まらない台風を前に
栗岩稔