2024/08/20 10:00

四年に一度の「平和」の祭典が終わり、、ニッポンの年中行事が終わり、
夏の全国高校野球大会が終盤を迎え、日常生活に戻りはじめているこの頃、
国歌、国旗、日章旗、旭日旗、校歌、校旗など、代表して戦ったものへの掲揚、
その高々と揚げられる様子に誇りを抱いている場面がたくさん通り過ぎていく、
史上初の会場外、街中での開会式以外はあまり真剣に観ることのなかったオリンピック。
その表彰式では一番になった選手に向けて国歌が流れ、国境が掲揚される。
けれども、紛争地域の選手は国としてではなく中立的な立場で参加しているから、
たとえ勝ったところで国歌が流れることも国旗の掲揚もない。
西側諸国から判断した一方的な侵攻をしている国とその同盟国はダメだけれど、
抵抗、抗戦して越境すらしそうに戦争している相手国は国の代表して、
代理のように戦い、勝てば国歌が流れ、国旗掲揚もあり、取沙汰される。
難民選手団は去らざるを得なかった国の代表として勝てばあるけれど帰る国はない。
一方で西側諸国に多大な影響を及ぼしながら、民族と宗教の積年の諍いが続き、
今も戦争状態の国や地域の代表として参加を認められ、誇りをもって戦っている。
どの部分からみた中立なのかなどと考え出したら切りがないので考えることを止め、
純粋にスポーツの祭典を楽しもうとしたものの、どこか斜めに観ている自分がいたし、
真剣に観ていたとしても興醒めして観ることを止めたりもした。
けれど、そんな外野のことは抜きにしてスポーツマンシップをもって戦う姿、
そういうものに人々は感動するのだろうし、実際に心に響く場面もあった。
だから、とにもかくにもスポーツ観戦は止められない。
今、佳境を迎えている夏の全国高校野球大会の毎試合終了の時には、
校旗が掲揚され、校歌が高らかに流れ、選手はもちろん応援団も大合唱する。
伝統校や常連校、勝ちが多い学校の校歌などは何となく覚えていることもあるほどに、
観戦していることに気付き、やはり夏の甲子園は熱く、まさに熱闘甲子園となる。
観ることが出来なくてもラジオで聴いているだけで楽しめるし、面白い。
特に高校野球ならではの最終回になると浮わつく感じの攻防から試合終了まで、
途中経過よりも一層興奮しながら観たり聴いたりしている。
だから、終了時の校歌にもより一層感動を覚えるし聴きいってしまう。
かたや負けた学校はというと、今の時代ならではなのか、
昔のように努力根性ではないからなのか、大泣きする選手が減ったような気がするし、
かえって笑顔で清々しく終える選手の姿を多く目にする。
三年生とそれ以外は感じかたは違うだろうし、個人的な感情はわかるはずもないし、
その涙の場面に期待しているわけではないから、純粋に観ていられるし、
大昔の野球少年として憧れだった高校野球は斜めから観ることはない。
我が地元長野県代表はというと、子供の頃に父親が言っていた「出ると負け」
だから今年もそうだったように、ここ数年一回戦敗退ばかりだから、
長野県代表校の校歌を聴くことはもちろんない。
今は公平を期すためなのだろうと思える試合途中に両校の校歌が流れる。
だから、聴くことは出来るけれど、それとこれとではまったく訳が違う。
やはり、試合終了時、両校がホームベースを挟んで整列して挨拶をして、
空襲警報のようなサイレンが流れて戦いを終えた勝者のための校歌が良い。
今年も聴くことなく終わった長野県代表のことは残念に思いながらも、
東京に暮らしているから西と東の代表二校、神奈川県にもいたから神奈川県代表、
公立学校で出場している学校などなど、戦況をみながら応援している。
そういえば父親は長野は「出ると負け」だから、近いところから応援すると言っていた、
そんな応援の仕方もありかな、なんて思いながら今年もまた楽しんでいる。
楽しんでいるけれど、最終回終了時に同点だった場合の延長タイブレイク、
あれはどうもいただけない。もちろん、長時間に及ぶ試合を戦う選手の健康面、
それを、ということなのだろうけれど、元々はプロから始まったルール改正、
それを受けて運営上時間短縮の、ということなのかな、なんて思ったり…。
選手たちがすべてを出し切って、やりきって、悔いなく終わることが出来れば、
それに越したことはないし、それで良いと思うようにしている。
まあ、いずれにしても楽しんでいることには間違いない。
「出ると負け」の長野県代表というより負けていない長野県出身者と出会う、
特に遠く離れた町で出会うと必ずといっていいほどに話題になることがある。
それは県の歌「県歌」の話。
県歌ってなんだ?っていう人もいるかもしれないけれど、
長野県民は知っていて当たり前に知っていることだと思っている。
卒業してきた県内の小中高、それぞれの学校の校歌は全く覚えていないけれど、
長野県歌は今でも完璧ではないけれど覚えているし、唄える。
全校生徒があつまる式典などでは必ず校歌とは別に県歌を斉唱する。
体育館のステージ横の壁には校歌と並んで県歌の歌詞が貼られていた光景、
式典にはステージ上の国旗と並んでいたことを今でも覚えている。
式典には会場内全員、小中高あわせて十二年間は唄うのだから嫌でも覚える。
今考えてみれば、他県からの転校生はどう思っていたんだろう、
疎外感や全員が空で唄う姿に違和感とかあったんじゃないかな、とも思う。
他県の学校には通ったことがないからわからないけれど、
ある時代の長野県民には染み付いているものだと勝手に思っている。
長野県歌は、信濃の国は十州に境連ぬる国にして、とはじまる。
改めて見ると、本州のなかでの位置、山や川、盆地や平野など風土を表していて、
自然豊かな恵み多い土地なんだと思えるし、美しい表現の歌詞だと思う。
当時は面倒臭いだけで、ほぼ口パクだったことを思うと、
歌詞を噛みしめて、ちゃんと唄っていたら地元愛、郷土愛というもの、
故郷に暮らすということが全く違って深く感じられていたのかな、とも思う。
歳を取って改めて、県歌から長野県出身ということに誇りを持っている自分に気づいた。
故郷や実家、先祖や親、親戚、兄弟姉妹、そんなことを思い返すことの多い時期が終わり、
街には日常が戻り、それぞれに暮らし生きている、それぞれの場所がある。
そこで生きていることを実感して、そこに誇りというか、
少しでも愛情を持っていられたら、街がもっともっと良くなるんだろうな、
なんて思いながら、朝晩の風に秋をほんの少しだけ感じる東京で生きている。
まあでも、歳を重ねる毎に感じる、夏の終わりから秋にかけての身体の疲れ、
気力と体力のバランスの崩れについては否めないけれど、
それを受け入れて上手に生きていけたらと思う。
みなさまもくれぐれもご留意のうえ、ご自愛のほどを。
令和六年 笑っちゃうほどに厳しい残暑のなかで
栗岩稔
追伸、長野県歌にご興味あれば→「信濃の国」