2024/08/06 10:00

最近よく道を訊かれる、これまであまりなかった東京で。
特に海外からの観光客に市場はどこ?とか銀座はどっち?とか。
しかも、道に迷っている観光客を見かけると進んで声をかける。
それは異国の地で体験したことの影響が大きかったからだと思う。
ローマ、スペイン広場前で、高級品持ってます私、とわかりやすく見せている、
ブランド名が大きく書かれたショッピングバッグを持った若い女性に、
バチカン市国はどっちですかーと訊かれ、案内しながらスリの注意を促し、
その午後には、ビジネスでスペインから来た男性に、トレビの泉は?と訊かれ、
片言の英語でコミュニケーションをとりながら案内した結果、
仕事を終えていた彼と食事をすることになり、食後のバーで一杯を楽しみ、
帰る先のホテルが同じだったというオチまでついた結果の深酒とか、
ニューヨーク、マンハッタンではアメリカ中西部からきた老夫婦に、
目の前にそびえているエンパイア・ステート・ビルへの道順を訊かれ、
ミラノのバールでは、すぐ後ろにあるドゥウォモ広場はどこかと、
英語圏の国からきた観光客に訊かれ、指を指しながらお互いに大笑いしたり。
自身も不慣れな町で何故か道を訊かれることは多かった。
現地に住んでいると思われるのか、慣れていると思われるのか、
はたまた、ないとは思うけれど、声をかけやすかったのか、
こちらはもちろん不慣れだし、見た目だって日本人観光客だろうし…。
何故だかはわからないけれど、ひとつ考えられるのは、
異国の地では、防犯上出来るだけ身軽にしていたし、ほぼ手ぶらで、
町中で地図を開いたりはしないように、出かける前にホテルで記憶するようにして、
服装も着飾ることはせずに、質素でその場に相応しいと思うものにしてきた。
だからかもしれないけれど、暮らしていないし、慣れてもいない。
けれど、異国の町では多かった。
そんなことは東京ではなかった。
今にして思えば、気を張って、緊張して、周りに注意して、
バリアを張ったように、目的地まで脇目もふらずに歩いて、と。
そんなことが多かったからだと思う。
逆の立場で考えれば、そんな人に声をかけようとは思わないし、
かえって避けるようにするだろうと、今にしてみれば思う。
でも最近、歳を取ってからは特に、町中で国内、国外問わず、よくある。
迷っている人がいれば進んで声をかけることも増えた。
我ながら、町にやさしくなれた、人間がまるくなった、
そう思うし、そうなれたことが素直にうれしい。
今朝も東京駅の山手線ホームで声をかけられた。
モノレールに乗りたいから浜松町に行きたいけれど、これで良いかと。
もう快速運転の時間帯だから京浜東北線の方が早いと答えた。
すると、その初老の男性に、
「東京はあれやね、人がとにかく多いから、疲れるわね。
半年に一度来るけど、はじめは楽しいんやけど、帰るころにはぐったりや。」
そう言われて辺りを見回すと昼前のホームには、いつものように、
たくさんの人が溢れていることを改めて気づかされた。
「そうですね、ホント」としか言えない自分にも気づいた。
ついさっきまで、地元の町からとんぼ返りしてきたから余計、
誰もいない城址公園を抜けて駅に向かい、1時間半後の今、
午前中に市内で見た人の数より多い人がひとつの電車を待っている、
そんなことに驚き、麻痺してその景色とけこんでにないた自分にも気づいた。
真上から射す真夏の太陽と人の熱に何だかとても気だるくなった。
それを気づかせてくれた男性は京浜東北線に吸い込まれ、
挨拶も出来なかったことを悔やみながら山手線に吸い込まれた。
2分後にはまた、人が多い駅のホームに吐き出され、銀座に向かった。
体温より高い気温のなか、たくさんの人が行き交う街を歩きながら考えていた。
これから先の道程や行き先案内として役に立てたことはやっぱりうれしい。
以前は見知らぬ人との関わりを煙たくも思っていたことに比べれば、
そんなことを全く思うことなく、嫌な気分にもなっていない自分に気づき、
役に立てたことを喜んでいた自分が素直にうれしい、そう思えた。
そういえば先日、20年来の付き合いの前職の後輩から、
イベント用に撮影してもらったプロフィール写真を見て
「表情が穏やかでしたね。」と言われた。確かにそうだった。
こんな穏やかな表情の自分になっていたことに驚き、気づかされ、
これまで関わってくれ、助けてくれた方々に感謝した。
今日もまた、たくさんのセミが見えない場所で大合唱している。
今、この街にいる、確かにいる、そう思った。
令和六年 真夏の太陽を頭上から浴びながら
栗岩稔