2024/07/30 10:00


「薫陶を受ける」という言葉をいただいた。
とても美しい言葉をありがたく頂き、感謝した。
人徳や品格のある人物から影響を受け
人格が磨き上げらるること。感化されること、という意味を持つ。
確かに30代初めの鎌倉の酒場で、その主から薫陶を受けた。
「薫陶」は香を炊いて薫りを染み込ませた土をこねて形を整えながら、
陶器を作り上げるという意味を持っていて、それが転じて、
その徳の力で人を感化し教育すること、という意味になっている。

まさにそうだった。陶器を作ったわけではないけれど、
酒場は葉巻の煙に醸されて、酒と音楽と人とその生き様を学び、
京都を訪ねた際には陶器や骨董、酒と食とその背景を学んだ。
多大な影響を受けたあの3年間がなかったら、今はない。絶対に、ない。

それまではアメリカのブランド立ち上げとマーケット作りのために、
日本中を飛び回り、憧れのニューヨーク出張も普通にこなすようになり、
属していた会社の先輩方からも一時代を築いた話を聞き、学び、
かわいがってもらっていたので夜の遊びにも連れていってもらい、
同年代よりも幅広い見識を持ち、多趣味で物事を知っていると。
BARもJAJAZZも服もそのスタイルも知っていると思い上がっていた。
そんな20代の10年ほどの時間よりも、あの酒場で過ごした3年間は、
はるかに中身が濃く、多くを学び、強く感化された。
自分が好きだったり過ごしてきた生き様が薄っぺらく思えた。
だからもっともっと探究したいと思い、そうしてきたように思う。

ビル・エバンスもジョー・パスもより深く好きになり、
池波正太郎の著作を読み漁り、昭和の時代を学び、
エリック・ホッファーを知り、その生き様を確かめた。
ソール・ライター、ロバート・キャパが好きになり、
シャツの着方を学び、服が表すその人そのものを学び、
プライベートで訪れるようになったマンハッタンが好きになった。
にわかだった自分に気付き、すべてのことの意味、
その背景にある物語を考え、物事を追求するようになった。

近頃よく耳にする、敬意を持つ尊敬するという意味の「リスペクト」
これとはまた違う、違うと思うから自分では使わないし、
聞くたびに、喉に何かが引っ掛かったような気持ちになる。
どちらかというと師事という言葉が好きだし、自分には丁度よい。
様々な道に秀でた人に対して使う、教えを乞うという意味の「師事」

鎌倉から銀座に来て20年間、そう思える方々にたくさん出会えたこと、
それもことのほか幸運だったと思える、思えるけれど、
あの鎌倉での3年間があって、そこで薫陶を受けたこと、
それがその後の20年間を作り上げて来ているように思う。
だから今でもこうして銀座で酒場を預けてもらえているし、
銀座100年の催しにも携わらせてもらうことが出来るし、
認めてもらえているのだろうと思う。それが、とてもありがたく、
うれしく、誇りにも思う、けれど、恐縮もしている。
そのためにも、まだまだ学び続けていきたいと思っているし、
そう自然に思えていること自体がうれしいし楽しいし、期待している。
こんな55才も捨てたもんじゃない、そう思えるし、還暦までのラストラン、
そう言い続けてきたことが、まさに今始まりを迎えたと実感している。

この夏、薫陶を受けた人物のお膝元のような町で、薫陶を受けた男3人が絡む催しがある。
これまで縁が切れることはなかったけれど、ほとんど関わることのなかった3人が、
25年前のあの頃以来初めて、一緒に仕事をしてコトを起こす。
もう、このコトを見てもらうことは出来ないけれど、
今ようやく皆が体現出来るカタチでコトを起こすこと、そのものが
楽しみだし、うれしいし、ありがたく、心が震える。
そのコトが次の世代に何かのカタチで伝われば、なおのことうれしい。
イケてるかどうかは別にして、還暦目前の男3人が楽しみながら起こすコト、
そんな姿が人から人へ伝わること、薫陶を受けた生き様が伝わるとうれしい。
決してリスペクトではなく、燻され醸された感じの何かがうれしい。、
またひとつのコトがはじまる期待と不安と緊張で夏を迎えている。
夏休みの宿題ではないけれど、そのためにもっと勉強をしようと思う。

令和六年 夏休みの宿題が苦手だったことを思い出す55才の夏に


前略、渡邊かをる様

あれからもう10年が過ぎようとしていますね。
おかげさまで私も55才という、はじめてお目にかかった、
あの頃のかをるさんの年齢に近づいてきました。
還暦には赤いバットをプレゼントするとか言っていましたけど、
結局は軟式野球のボールをお渡ししたきりでしたね。
約束したキャッチボールもせずに終わってしまいましたね。
かをるさんが好きなジャイアンツは今年、今のところ首位ですよ。
でも監督や選手の顔ぶれが変わり、私も観ることが少なくなり、
混戦模様のセ・リーグがどうなっていくのか、全くわかりません。
今ではアメリカメジャーリーグの人気のほうが高まって来ているので、
少し寂しい気もしますが、高校野球人気は変わっていませんよ。
かをるさんは大谷翔平については何て言うか、聞いてみたかったですね。

まあでも、世の中はだいぶ変わりました。野球だけでなくてすべてですね。
そうそう、大相撲は今、名古屋場所です。今年か最後の愛知県体育館開催らしく、
そのあたりも時代の変化なんだな、と思います。
関取陣もだいぶ変わりました。
横綱は大怪我から復活した照ノ富士ひとりで、大関陣は頼りないですね。
かえって若手の力士の台頭は目立ってきて、面白く観ています。
様式もだいぶ変わってきて、これも時代なんだな、って思います。

まあそんな夏、気温は35℃を超えるのが当たり前で死者が出るほどの
恐怖を感じるほどに暑い夏を迎えています。

猛暑もそうですが、この10年間は本当に色々なことがありました。
大きな地震、豪雨などたくさんの災害が毎年のように発生して、
海外では戦争、紛争が絶え間なくあって、世界中が脅威にさらされた、
感染症のパンデミックがあって、そんな中でも、かをるさんが嘆いていた
東京オリンピックが一年延期して無観客の状態で開催されて、
その開催を声高らかに宣言した日本の首相が引退して後進に譲った後に
手作りのお粗末な銃器で射殺されてと、大変な世の中になりました。

装幀家の菊地さんが生前言っていました。
「渡邊さんは良い時に亡くなったもんだ。この先の日本を見なくて良いのだから」と。
確かにそう思います。こんな日本をかをるさんはどう思うんでしょうか。

そうそう、かをるさんの生まれた町には市場跡地の再開発があって、
大きくて無機質な町が出来て、読売巨人軍が来るらしいですよ。
それについても聞いてみたかったですが…。
まあそんな感じです、かをるさんの好きだった東京は。

今私は銀座で酒場を預かっています。
一世代下の素晴らしい夫婦が主で、彼らから託されたこの酒場に
かをるさんから学んだことすべてを体現していきますが、
この二人からも学ぶことはとても多く、かをるさんが言っていた
「死ぬまで勉強ですよ、勉強、ね、栗岩くん」ということを
今身に染みて感じていながらも、日々学びながら楽しんでいます。

最後に、この夏、熊田さん、猿山さんと一緒に仕事をします。
かをるさんが何と言うかは今となってはわかりませんけれど、
還暦を目前にした3人が揃って、初めて仕事をすることに意味がある、
そう思いながら、また一段と毎日学びながら刺激を受けながら準備をしています。
きっと良い時間になると思いますよ。だから安心していてください。
ただ、少しだけ悪口を言うかもしれませんが許してください。
みんなが思うところは少なからずあると思うので…。
でも、皆がかをるさんがいたからの今を感じていることについては
間違いないと思いますので、これだけは言わせてください。
お世話になりました。
この先、かをるさんと知り合った年齢を超える時や亡くなった年齢を超える時、
自分がどうなっているのかがとても楽しみです。
もちろん、超えることはおろか肩を並べることは出来ませんけれど、
とにかく、「ちゃんとして」いたいと思います。
だから「まあまあ、だな」って言ってくださいね。
ではまた。

草々

令和(令和ですよ、令和ですって)六年七月吉日
栗岩稔