2024/07/23 10:00


100年という年月を経て、パリでオリンピックが開催される。

前回開催は1924年。1924年のパリ・オリンピックといえば、
真っ先に(邦題についてはさておき…)「炎のランナー」を思い出す。
その内容は、大英帝国の代表としてオリンピックに参加する、
爵位を持つイングランド人、厚い信仰心を持つ宣教師のスコットランド人、
金融で財を成した一族で勝負にこだわるユダヤ系イギリス人、
彼らが走ることを通して描かれる変わることのない友情物語というところ。
もちろん、その主題曲も含めて、英国の学生たちの場面場面での服装、
それで表される立場や時代背景がとてもよく描かれていて、
学ぶことが多いし、好きな映画のひとつであることは間違いない。
けれど、歳を重ねるたびに何度も見直し、じっくり観てみると、
たくさんのメッセージが込められていることに気付き、
深く理解出来るようになってくると更に面白く興味深く観られる。

第一次大戦を境に、それまで世界の覇権を握ってきた大英帝国と
戦後に存在感を増して、力をつけてきたアメリカ合衆国、
イングランドとスコットランド、英国人とユダヤ系英国人、
英国と連邦に属する国々、本音と建前、プロとアマ、
スポーツそのものの考え方、スポーツ科学と個人の力量、
USAとプリントされたトレーニングシャツと白の襟つきシャツなどなど。
比較対照しながら観るだけで、込められたメッセージを読み解ける。

この映画の舞台になっている1924年は、第一次大戦後に台頭してきたナショナリズム、
二枚舌政策ともいわれるイスラエルパレスチナ問題のことの始まり、
アメリカ国内では移民の割合を地域ごとに定めた移民法が制定されて、
日本ではそれを排日移民法という置き換えた言葉で表現されたり。
内容や時代は異なるけれど、今とあまり変わらない世界だったのかなと。
今現在、英国では14年ぶりに政権が入れ替わり首相も変わり、
アメリカでは自分たちの大統領候補を決める選挙キャンペーンが
ライヴイベントのように開催されているなかで銃撃事件が起きて、
それを逆手にとって強いアメリカと団結を訴えるPRを繰り広げ、
USA、USAと声高らかに唱えて、星条旗がはためいている。
他の紛争地域やガザ地区やロシア、ウクライナの戦争は終わる気配すらない。
かたや日本では自分たちの町の首長を決める選挙を違う目的で利用されたり、
熱が覚めるどころか初めから関心が薄い、投票率30%強という結果だったり、
国の代表を務めている人には強さやその言葉の重みも感じられず、
身内からも批判が出るほどの、カネしか見えない状況になっている。
大丈夫なのかな…、それこそ今が、ガンバレ!ニッポンじゃなかろうかと。

オリンピックそのものにしたって平和の祭典だったはずの時代を終えて、
ある時代からは商業主義的な広告満載のオリンピックになり、
政治的要素、冷戦、紛争、民族間の対立などの意思表示の場になり、
参加するしない、参加を認める認めない、国を代表しない中立的立場で、とか。
結局のところ、100年前のあの時も国の威信や誇りをかけて戦い、
勝者には国旗が掲揚されているのだから、こうなるよな、と思ったり。
スポーツマンシップというものは変わらないのだろうけれど、
どうしたって周りの影響を受けるのは避けられないことだろうし…。
いつかのオリンピックに日本が参加しなかった時の柔道家の涙を思い出す。
これからも変わることなく平和の祭典というものであって欲しいと思うけれど、
もう無理なことになってきているのかな、とも思う。
そもそも、開催出来る地域にしたって、資金力はもちろん、
その戦略的な策略や立場みたいなものが必要なんだろうし、
冬季開催にいたっては気候変動の影響で可能な地域が年々縮小していて、
夏季は夏季で気温が高すぎて開催出来ない地域が出てきたり。
大丈夫かな、人類…、大丈夫かな、地球…、と思う。

まあ、そんなことを考えているうちにまた、暑すぎる夏になる。
人を殺すほどの災害級の高温って…、大丈夫かな、自分…。
そういえば、100年前、1924年には北海道帯広市で気温37.8℃を記録。
今でもそれが北海道内の最高気温の記録になっているらしく、
でもこの気温って、今では普通に何度も目にするようになったなと。
変わったのか変わらないのかわからないけれど、
色々なことが大変なことになっているのは間違いないかと。
ホント大丈夫かな、地球、人類、そして自分…。

でもでも、スポーツは大好きだから観戦、応援はしますよ、はい。
もう少ししたら、夏の全国高校野球大会が始まることだし。
それこそ、熱い夏のはじまり、はじまりー、ですよ、はい。
そういえば、阪神甲子園球場も今年で100年でしたね。
100年ですよ、100年。

令和六年 セーヌ川を泳ぐパリ市長を見ながら
栗岩稔