2024/07/16 10:00

雨上がりの土曜の深夜、閉店間際の酒場で
日々忙しく、休日出勤も厭わず、10年近く前の新人の頃から、
変わることなく迷いながらも前向きな姿勢で生きている男が
いつものジントニックを楽しみながら、彼の親友の話を切り出した。
昨年、東京から南の島に移住して島のため、自分のために起業した彼の親友が、
長らく間借りの仮店舗で営業していた酒場をいよいよ自身のモノとして作るという。
その話をうれしそうに話してくれたなかで、彼の酒場は栗岩イズムを継承するとのこと。
栗岩イズムと言われても、それが何なのかわからないけれど、
何かこれまでの言動が伝わって、それが次世代に何かしらの影響を及ぼしているのだとしたら、
この上なく幸せだし、ありがたいし、感謝すらしている。
疲れがたまった週末の夜に、何ともうれしい言葉で終えた一週間だった。
イズム、イズムと言っても色々ある。
ことばの意味としては、主義主張学説、特有な主義、流儀や傾向ということらしく、
今この世の中を見渡すと良くも悪くもイズムの対立、ナショナリズムの台頭からくる、
国内、民族の分断、隣国との戦いばかりが目につく悲しい時代になっている。
このところ続く各国の選挙でも極端な思想に基づいた政党の圧勝だったり、
右から左、左から右などの大転換だったり、イズムと人民を守るという名目の
東西それぞれの協力関係の再構築と強大化とその対立だったり、
イズムがもたらす功罪は計り知れないし、人間社会はそれありきで築きあげられて、
それが良いか悪いかは数年後の世界がどうなっているかが答えなんだろうし、
今、声高にイズムを訴えている人たちはこれからの人間社会を見通しているのだろうけれど、
数十年後の社会に責任は持てないだろうし、答えは見えていないのだと思う。
けれど、こんなことが長らく続けられてきた人間社会なんだろうし、
それを受け入れざるを得なかった社会なんだろうとも思う。
古代はきっと、食べること、生きること、そして子孫を残すこと、
それが思想の中心にあって、それを基に行動をしていたのだろうと想像している。
その必要不可欠なものの確保と欲と取り合いが諍いになり、武器を人間に向けて、
人間同士が戦い、集団を守ることに注力しなければいけない社会になって、
指導者的な首長が出現して人民を支配することになっていったんだろうと思う。
いずれにしても、現代人として生きている今この世の中には、
イズム的なものは必要な思考なんだろうと思う、けれど市井の一人のイズムが、
どう影響を及ぼしたか、なんて歴史の一頁にもならないけれど、
どこか誰かの人生の一頁にイズムが伝わっていくことは必要だし、良いことだと思う。
子供の頃にはきっと、学びの場に主義主張学説があって、その理論に基づいた指導を受けて、
人間として初めてイズムに触れることになるのだろうと思う。
ただ、その学びの場に任せきりにしない保護者がとても重要な存在で、
学びの場と家庭生活双方のイズムを吸収していくのだろうと思う。
それらが個人のイズムを形成していく基になるのだろうと思うし、
それが、生きていくこと自体を学ぶんだろうとも思う、思うけれど、
自身を振り返ると、迷い続けて悩み続けてきたまま長い年月を経て、
ようやくたどり着いたのは、不惑の年と言われる頃だったんだろうと、今思える。
けれどあの頃にしても、不惑どころか惑い、路頭に迷う年代だったと思う。
ただ、早い遅いは問題ではなく、その行動や行程が大切なんだと、
今は間違いなく、ようやく五十代半ばを過ぎて、そう思えるようになった。
今そう思えて、行動しているからこそ、そのイズム的なモノを基にして
仕事をさせてもらえることもあるんだろうと思うし、ありがたく思っている。
ただ、改めて身が引き締まる想いで、今はここにいる。
この夏もモノを通して伝えることを大きなテーマとして催されるイベントがある。
そこでもまた、出会う方々とお話して、たくさんのことを吸収していきたいし、
それを楽しみにしながら、想いを巡らせて、考えを深めている。
ただ、考えて想像しているほどには身体が言うことをきく年齢でないことは間違いなく、
還暦までのラストランを無事走り抜けられるように、その役目を果たせるように、
身体にも気を付けていかなければいけないことは身をもって感じている。
今日もまた湿気をたっぷり含んだ夏の夜風が吹いている。
この湿気や熱気は気にも留めなかった頃を思い出しながら今の自身を受け入れる。
ただ、この歳になっても現場にいられることに感謝しながら、
誰もいなくなった酒場を後にして一週間を終えた。
外には梅雨の終わりを迎える気配が漂い、本格的な暑すぎる夏を予感させていた。
それがうれしくもあり、楽しみでもあり、少し心配にもなった。
彼らは来年三十歳を迎えるはず。
そんな彼らが生み出したモノが愛し愛されるモノや時間でありますように。
まだもう少しだけお付き合いいただけますように。
大したモノはないけれど、彼らが求める栗岩イズム的なモノや頭の中身、
それらをすべてさらけ出して、彼らに託すことが出来ますように。
令和六年 梅雨の終わりの湿った夜風に吹かれながら
追伸、三十歳を迎えるお二人へ。
前略、いつもありがとう。まだまだ若いとか、無理がきく年齢だからとか、
過信しないで、心身のバランスを整えるようにしてください。
くれぐれも日々を楽しみながら、ですよ。
そういえば、以前はよく時間を作ってサウナに行って「整えて」ましたね。
今も行けてますか?時間があったら行ったほうが良いですよ。
行けない理由や言い訳を考える前に、行ったほうが良いですよ。
そういう時間はとても必要で大切ですからね。
忙しいことは理由にしないでください。
もう何度も言ってますけど、忙という字は心を亡くすと書きますからね。
私は若い頃、特に三十代はそうでした。全く心がなかったと、今はよくわかります。
あの頃はあると思ってましたけど、なかったなって。
まあ、そうならないように。
ではでは、また酒場で。
草々
令和六年七月の佳き日に 栗岩稔