2024/07/09 10:00



告知用プロフィール文言というものを限られた文字数で書いている。


これまでもいくつか書いたものを色々な場面で公開してきた。
そんな、これまでの言葉を見比べてみると、年代や使用する場で、
変化(こんな生き方をしていれば当然!)していることが見て取れる。
なかには、変わらず書き続けていることや、いつの間にか(というより意図的に)
消えたこともあって、もちろん使用する写真の顔そのもの、
増えたシワやシミ、体型の変化もあったりするし、変わらないことや、
変わり続けていること、退化(もちろん老化!)もあったりする。
今書いていることについては初めての試みで、また改めるにしても、
客観的に見られて、なかなか面白くて、楽しみながら、また書いている。

初めて会う方々に対する言葉、なんとなく知っている方々に対する言葉、
よくよく知っている方々への改めての言葉を、これまで書いてきた。
あなたは誰?だったり、こんなこともしてたの!だったり、
へえー、そんなことも!などなど、感じ方や伝わり方はそれぞれで、
表現の仕方も伝わり方もそれぞれだと思うし、違って当たり前で、
ひとつのコトを起こす時に関わる人間がいる意味を表すもの、
この人はこの時に、こういう役目なんだと伝えるものなんだと思う、
これまでこういう機会に恵まれたこと、与えられたこと、
そこで出会えた方々に感謝しているし、そんな自分をうれしく思っている。
35年前の初夏に上京したあの時から想像も出来なかった今に驚き、
楽しみながら、ワクワクしながら、心地好い緊張感に包まれている。

スクランブル交差点というものをはじめて体感した時の困惑と混乱、
歩く速度の違いで過ぎ去っていく周りに取り残されて埋没していた自分。
地元の山よりも高く感じた高層ビル群やシンボルだからと昇ってみた東京タワー。
その展望台の覗き穴から覗いた時の足のすくみと、吸い込まれるような、
高さだけではない街に対する異常なほどの恐怖心、そこに見える人のカタチ。
見上げてみても上から見てみても感じることの出来なかった東京。

何か大きなことを成し遂げようとか、大きな夢や希望を抱いてとかは全くなく、
バブル絶頂期の東京という大都会に異動命令に従ってただなんとなく、
流れに身を任せて来てしまった大きすぎる街でただ生きてきたように思う。
けれど、浮き草のようにフワフワとしたなかでも常に感じていた違和感や
不信感みたいなものに対する立ち位置は、はっきりとしていたようにも思う。
そのモヤモヤした何かを払拭するためのバーだったり居酒屋だったり、
そういう酒場に確かな自分の居場所を探して持っていたようにも思う。
だからきっと、浮き草ではなくて岩場に根を張って流れに身を任せる、
水草のようなものなのかな、とも思うけれど、それが35年という年月を
東京という大きすぎて、激しすぎる街で生き残ってこられた理由かなとも思う。
そして、プロフィールという自分を表現する機会を今この歳になっても
いただけていることに、なんとか頑張って来られたと思えるようにもなった。

人混みの中で突然名前を呼ばれたり、かつて開発に携わったモノを街中で見かけると、
駆け寄ってお礼を言いたくなったり、喜んだりしている自分に気付く。
何様になろうとか、名を残そうなどと微塵も考えたことはなく、
誰かの何か何処かで記憶に残るモノや時間であって欲しいと思って関わってきたし、
今でもそう考えて、先が見えた限りある時間を楽しんでいる。

すべては、あの日あの時あの場の困惑と混乱が出発点になっていると、
今ではそう思えるけれど、あの頃は暗中模索、五里霧中の日々だった。
そもそも、上京初日からして大変な幕開けだったことを今でも鮮明に覚えている。
夜行列車で来た上京初日にまさかの初仕事、と激動の一日を終えたらそのまま、
歓迎会という名の飲み会で東京初日の終電逃しという事態に陥り、
親戚の空き家を仮住まいとするために預かった住所のメモとカギを握りしめ、
電車の乗り方はおろか、どのあたりに暮らすのかもわからず途方に暮れた深夜。
頼みのタクシーには何台も乗車拒否され、痛感した東京という街。
ようやく大きな荷物を抱えて乗り込んだタクシーの口数少ない運転手は、
たどり着いた住む予定の町をメーターを下ろして一緒に探してくれたあの日。
やっぱり恐いと思いながらも捨てたもんじゃないと思いながら始まった東京。

あそこから始まっているんだとしみじみ思いながら、今はここにいる。

新幹線が開通したからこそ可能になった地元へのとんぼ返り。
今朝も通院する両親と同乗した大型タクシー運転手に母親が、
「今日はね、息子が来てくれたんですよ、今朝早くに。」
「それはそれは、うれしいじゃないですか、息子さんは今日どちらから?」
「今朝新幹線で東京から、ですね。昔からは想像も出来ませんけど。」
「東京から、ですか!いやいや、それは大変だ。でも、あれですよね、
ここらの人のは東京なんて暮らすもんじゃないとか言いますけど、どうなんですかね。」
「まあでも、あっちに行って35年も生き残ってますからね。」
「ほー、35年ですか!そりゃ立派だ、ねえ、お父さん。」
隣でただ笑っているだけの父親を見ながら、おかげさまで、と思った朝。

今、東京にいる。
昔々両親に見送られた夜行列車でたどり着いたままここにいる。

35年分のプロフィールを書いたら大変な文字数になるんだろうな、
でもそれはプロフィールではなくて、昔流行った自分史か、ないなーそれは。
などと思いながら、今100~150文字のプロフィール文言を書いている。
一人の人間のこじんまりとまとめた言葉で何かが伝わりますように。

令和六年 自分のことをまた見つめ直した夏に
栗岩稔