2024/06/11 10:00

©️Yoshimi Nakagawa
江戸末期から明治時代への革命から100年後、
日本も加担していると言われたベトナム戦争の真っ只中、
学生や若者たちが抗議の声と行動を起こした新宿争乱の年、
太平洋戦争終結から20年ほどしか経っていない時代に生まれた。
今年は、隣国中国で民主化運動を起こした天安門事件、
東西ドイツを隔てたベルリンの壁が崩壊して東西統一の動き、
ソビエト連邦が解体されロシアとプーチン大統領政権のはじまり、
あれから35年が過ぎている。
すべての事象で若い世代が自分の国のためにそのカタチや世界、
そういう何かを変えようとして命懸けで戦っていた。
今となっては地球存続のための運動にまで広がった戦いが起きている。
100年どころか1000年以上もっともっと続く人間の歴史。
尊敬する古文書研究者が言っていた。
「歴史は繰り返すと人は言うけれど、繰り返すのではなく、
韻を踏んでいるのだと思う。それは事件、事故に限らず、
自然災害にまで及んでいて、言葉に残されたものに答えを探せる。」
そうか、規模やカタチを変えて続く人間の所業なんだと納得出来た。
今この歳になってから、そんなことを考えるようになった。
おとなというものになったばかりの頃、
天安門やベルリンで、同世代の若者が何かに戦いを挑んでいた。
あの頃の自分はどうだったんだろうと考えている。
昭和を見送り平成を迎えた、バブル絶頂期、
アパレルファッションブランドの社員として働いていた。
働いていたけれど、ふわふわと泡のように浮かれていた。
何も考えずに一日をただ過ごして消え去っていった。
何かを変えようとか変えたいとか、国のカタチや世界を考えることなく、
浮き草のように生きていた、けれど漠然と、何かに迷っていた。
この先どうするんだっけ?ぐらいにボンヤリと。
ただひとつだけ、思っていたことがあった。
映画で観た、地方の町からニューヨーク・マンハッタンに出てきて、
思い描いたものとは全く違う仕事で成功しながら迷い、生きる話。
これを観て、好きなジャズもあるニューヨークで働く、
そんなことはしてみたいと考えていた、けれど何の脈略も計画もなく。
強い想いを持っているわけでもなく、ただ何となくそう思っていた。
あれから35年が過ぎた今、この仕事をしている。
生業として決めたことを良かったと思っている。
漠然とニューヨークで、などと考えていたことが後々になって、
マンハッタンで仕事をしたこともあったし、移住すら考える機会もあった。
けれど今はここでこの仕事をしていることが心から良かったと思っている。
ここにいれば数十年前から今、これから先も誰かに会うことが出来る。
先日も沖縄に突然移住して10年も経つ、15年来の友人が訪ねてくれた。
出張を終えて自費で延泊して、いつものように夕暮れ時に来てくれた。
そんな彼女が突然切り出した。
「ところで、さ。これまでの生き様で二つの道の選び方っていうかさ、
選ぶ道を変えていたら今はどうなっていたかなってかんがえたこと、ない?」
「今はこの道で良かったって思ってるかな。こんな感じで。楽しんでるし。」
と自然に取り繕うことなく答えると、彼女は、
「そうね、だから今この時間があるし、ね」
「そうだね、この先どうなるかわからないけど、今、があるからね。」
これまで、たくさんの場面で二つどころか迷子になるほどだった。
あの道この道、迷い道と色々あったけれど、今この道が今だから、
この仕事で決めたことが、これで良いと今思っている。
この仕事を決めた時には、仕事の内容や扱うモノが世界共通で、
日本に限らず、何処かの町で言葉が通じなくても出来る、
コミュニケーションがとれるはずだからということも理由のひとつだった。、
そのコミュニケーションをとるモノをこの手でその場で作り、
目の前の人に対峙することが出来る、そういうところも含めて、
死ぬまで現役、現場にいられるかもしれないと考えていた。
何かの取材記事で、パリコレに参加しているデザイナーが、
コレクションの発表は服の表現を通して、世界に伝えることが出来る、
非言語化コミュニケーションで、世界を変えていく可能性があると書いていた。
自分が世界を変えているかどうかはわからないけれど、
一人一人の貴重な時間のなかから酒場で過ごす儚い時を預り、
その時間を演出して何かのきっかけになるのではないかと思う。
そんな風でいられたら幸いだし、そうなっていきたいと常日頃考えている。
この酒場の主が言っていた。
若い頃は世界を変えるような仕事に就きたいと考えていて、
それに近い仕事もしてきたけれど、今はこの酒場から世界に伝えて、
酒を通して何かを変えていられることがうれしいと。
確かにその通りだと思うし、そんな場面にも立ち会ってきた。
そんな酒場でこの主と共に世界を相手に出来ていることがうれしいし、
ありがたく、これから先もそうでありたいと思っている。
何より、この主のもとで仕事が出来ることに心から感謝している。
この酒場にいられることが出来て、本当に幸せなことだと、
最近つくづくそう思う。
今週も前職の時のお客様が20年以上経って探しだして訪ねてくれた。
これまで、思い出すたびに探したけれど、縁がなく行方知れずで、
今これからは、ここに来れば良いからうれしいと言っていた。
こちらこそありがたく、こんなうれしいことはないと改めて思い、
また、面白い人物に再会出来たことに喜びを感じている。
そんな同い年の彼が生まれた時、祖父が「百年」と命名しようとしたらしく、
さすがに周りから反対され今の名になったけれど、今この歳になると、
その方が良かったかもしれないと言っていた。
20年ぶりに再会して同じようなことを考えている人物に出会えた、
うれしい午後3時だった。
令和六年 時の流れに身をまかせてばかりだった55年間
栗岩稔