2024/06/04 10:00


35年ぶりとなる焼き鳥屋に行った。

すでに長い歴史を感じた、店が入っていた当時の古いビルは、
取り壊しか何かで全店舗撤退という話を風の噂で聞いていたから、
もう焼き鳥屋もないだろうと思い込んでいた、というより消していた。

まだ陽が落ちきらない夕暮れの坂の途中の脇道に看板を見つけた。
まだあることが純粋にうれしく、迷うことなく看板の矢印に従った。
扉を開けると、広く明るくなって、かつては大将とおかみだった今は、
息子夫婦らしき2人が増えて、賑わいのなかで営業していた。

ほぼ満席のカウンターではやる気持ちを抑えながら生ビールを注文。
壁に貼られた、まだ変色していないメニューを見る。
あの頃はとにかく、肉、肉、肉、レバー、カシラ、ハツを2本ずつ!
みたいな頼み方をしていたけれど、今はまず焼き鳥を1本ずつ、
つくね、とり、親皮、親ナンコツ、そして、お新香。
当時と変わらないメニューにうれしさもありながら、
いつからか、長すぎた東京暮らしで培った自分なりのルールを持って、
普通に注文している自分、歳を重ねた腹具合とも相談しながら、
面倒臭いおじさんになったことにも気付かされる。

隣に座る同世代とおぼしき、徳利2本を並べたおじさんの大皿には、
食べ終えた串山盛りと土産物に昇格した地元独自のタレが広がり、
古くから名産品とされてきた七味が橙色の彩りを添えている。
自分はあんな風にはしないな、なんて考えながらお新香をつまんでいると、
つくね、とり、親皮、親ナンコツの4本が乗った角皿が届いた。
タレは一度づけで、という言葉に隣のおじさんはいったい何本?
そんな余計な推測を消し去り、目の前の角皿に背筋を伸ばして向かう。

まずは、つくねを手にとり、タレビンにどぼりとつけて皿に戻す。
余分なタレが落ちるのを待つ間に冷たい生ビールで口を清める(!?)
そして、つくねをひとつ口に含むと、少し固めの握り具合と、
強めの塩と焼き加減の懐かしい味わいが口一杯に広がる。
ふたつめのつくねにはいかずに皿に戻し、他をひとつずつ、
食べる順番を決めるために確かめながら食べていく。
マナーやモラルは抜きにして、ひとり焼き鳥の栗岩稔的流儀…。
こんなことをするようにもなった35年間を振り返りながら、
決めた順番は、つくね、親ナンコツ、とり、そして親皮。
大好物の親皮が鳥のトリなのは、今も昔も変わらない。
1本ずつ、じっくり味わいながら2杯目の生ビールで口を清めて(!?)喉を潤す。

鳥のトリ、親皮に向かう前にメニューをもう一度見る。
今はレバーとハラミに絞られた豚の串を確認して、そのまま注文。
オオトリの前のトリの、旨味たっぷりの脂を生ビールで流し込む。

お新香でリセットした頃に届くハラミとウーロンハイ。
レバーは相変わらず人気のようで、次のレバーが来るまで待つとのこと。
迷わずレバーを1本追加してオオトリはレバーに決まる。
まずハラミ、そして息子の料理でもある串カツメニューを確認。

これまた好物の豆腐の串カツの文字に迷わず注文。
ハラミを終えてお新香で整えた頃に届く豆腐カツ。
ソースかけまくりだった若い頃に比べて今は、梅塩をひとつまみ。
火傷しそうなほどに熱々の豆腐カツにすすむウーロンハイ。
もう一杯いけるか自分?と問いかけた頃に届くレバーが2本。

オオトリを一気に食べ、飲み終える頃に忙しく立ち回るおかみと目が合う。
普段は絶対にしない自己アピール的な言動ではあるものの、
35年目ぶりのうれしさに思わず、そのことを告げる。
今日は2人目、昨日は40年ぶり、60年もやってれば、と淡々と語るおかみ。
自分より年上の焼き鳥屋と続けてきた2人への感謝と尊敬を覚える。
そして、地元特有の強めの塩加減を最後のウーロンハイで薄め、その日を終える。

会計の際、今も大将は変わらず巨人ファンかと訊ねると、
親子揃ってですよ、と横目で忙しく働く2人を見やるおかみ。
あの頃、巨人が負けるとあからさまに不機嫌な大将をなだめるおかみ、
勝つと2本ずつの注文が3本になるほどの熱烈なファンだった大将。
その息子の彼もやっぱり巨人ファンという昭和感一杯の帰り際、
思わず口をついて出た言葉はごちそうさまと「ありがとうございます」

すっかり陽が落ちた坂道を足元が覚束ないまま、転がるように帰路につく。

その夜は実家から持ち帰った50年近く前のサインボールを握ったまま寝落ちした。
継続は力なりとは良く言ったものだな、なんてしみじみ思い、
やっぱり座右の銘にしている無事是名馬だなとも思う。

36年目の東京の雨の季節を迎える前に、
これからは常に傍らにあるサインボールとともに。

令和六年 巨人ファンだったことを思い出した東京暮らし36年目に
栗岩稔