2024/05/14 10:00

酒場でドラえもんの話しになった。
子供の頃はあの漫画が未来の姿だと思っていた。
鉄腕アトム、宇宙戦艦ヤマト、銀が鉄道999、ガンダムに至っては、
遠い未来の話しで、そんなことは絶対ないでしょ、ぐらいに考えていた。
もちろん、未来の国から来たロボットの話しもあるはずないと思っていたけれど、
あれぐらいの話しがちょうど良かった。
水や木々や大地そのものがなくなる時代が地球に訪れるとは、
想像も出来ず、来るはずもないと思っていたけれど、恐怖は感じていた。
今この歳になって週末の夜。
生きている間にせめてタケコプターぐらいは体験したいと話した。
カウンター越しに30代はじめの男が、あれはヘリコプターのプロペラの原理ではなく、
プロペラが回転することによる無重力状態の発生原理だと教えてくれた。
だから、等身大ガンダムを見たことで満足して、タケコプターはあきらめた。
あれから、何となく勝手に思う未来予想図を書き出してみた。
まずは映画。
2019年という未来のロサンゼルスを舞台に描かれた1982年公開「ブレードランナー」
どうみても新宿歌舞伎町や香港の雨の夜を思い出すリドリー・スコット監督映画。
宇宙植民地開発のために開発され送り込まれたアンドロイド、レプリカントが、
反乱を起こして地球に帰り、地球の人間社会に潜り込む。
そんな彼らを排除しようとする人間側の捜査班ブレードランナーの物語。
見た目は全く変わらず人間との違いといえば個々に設定された特殊能力だけ。
そんな進化型の彼らは数年経つと感情を持つということを危惧した開発者から
寿命4年という設定をされ、その寿命を延ばすために、
危険を冒してまで地球に帰ってきたレプリカントたち。
人間は一人二人と数えることなく一匹二匹と数えたり、
排除するために処刑として殺すのに解任と言っていたり。
そこにある人間とアンドロイドの関係性と社会のあり方という、
深いメッセージがあることに気づく。
かえってアンドロイドの死に対する考え方のほうが尊く美しくもあったりする。
同じようなアンドロイドの話しでは、2000年公開の映画「アンドリューNDR114」
品番だけだった彼がアンドリューとい名と欠陥とされる感情を持ち、
強く求めたのは永遠の生命ではなく死を迎えるための寿命。
未来の社会のなかで生きるということの意味を深く考えさせらるふたつの作品かなと。
次はアニメーション映画で2001年公開の「メトロポリス」
1949年に手塚治虫が発表したSF三部作のひとつ「メトロポリス」
これを、りんたろう監督、大友克洋脚本で映画化されたこの作品は、
人間とロボットが共存する大都市メトロポリスを舞台に、
そこに生きる人間とロボットの関係性や階層社会が描かれている。
主人公となる、人造人間製造の捜査をするためにきた少年と、
美しい少女の避けることの出来ない宿命と結末を迎えるなかで、
考えさせられるのは、人間だろうとロボットであろうと重要なことは
感情を持って生きるということなのかなと思う未来予想の作品のひとつ。
音楽では、1996年発表のジャミロクワイ「バーチャル・インサニティ」
進化し続ける技術を否定はしないけれど、使い途が大切で、
人間社会のなかで今これで良いのかと問いかけている楽曲。
戦いなど人間の争いの火種になることに対して、彼なりのメッセージを発する。
この発想の元になったのは日本公演で訪れた真冬の札幌だとか。
雪深く誰もいない地上の下に広がる巨大な人間社会の空間に感じた戸惑い、
そこから生み出されたこの楽曲を今改めて聞いてみると、
ただ流行りで聴いていた若い頃には感じなかったメッセージを
その言葉ひとつひとつに感じて、奥深い意味を考えさせられる。
そういえは、ディズニーピクサーのアニメーション映画「ウォーリー」もあった。
2008年公開のこの作品は、環境汚染のが進み人類が住めなくなった地球。
そこから脱出したAI制御された宇宙船で感情を制御された人類。
700年もの間、汚染物質を処理するために開発されたロボット、ウォーリー。
感情をもたないロボットのはずのウォーリーが憧れているのは、
人類が暮らしていた頃の美しい地球と人間社会の営み。
宇宙船内ではAIが反乱―起こして人類を支配しようとするものの、
たったひとつの小さな小さな緑の木が運命と未来を変えていく物語。
どの映画も音楽も、人類が生み出したモノと共存するための関係性を
問いかけているように思う未来の予想図。
住む世界や環境が違っても、その社会に大切なことは感情なのかな、と思ったり、
生きるということは何かを深く考えなければいけない今、
今さら遅いかもしれないけれど、そうしなきゃいけないんだろうなと思う。
まあ、それにしても、のび太やしずかちゃんたちは、並外れた体幹だなと。
そうでなけれは、あんなに操れないでしょ、タケコプターって…。
令和六年 真夏を前に真冬の札幌を思う
栗岩稔