2024/05/07 10:00


ロンドン、パリからそれぞれに帰国した酒場の主と語り合った。

記憶に残る酒って何ですか、と土曜の深夜に訊かれた。

だから、日曜の朝から考えた。
たくさんありすぎたから年代順に書き出してみた。

10代の終わり、地元上田の人生初のバーで飲んだ、シャーリーテンプル。
大の巨人ファンの大将の焼き鳥屋の煮出しウーロン茶のウーロンハイ。
20代、新宿のバーの長いカウンターの端っこで飲んだ頗る旨い生ビール。
鎌倉の焼き鳥屋の生搾りグレープフルーツサワー。
30代、鎌倉で40年近く営業していた老舗スナックのブルドック。
日比谷、帝国ホテルのメインバーのジンリッキー。
ロンドンの路地裏の酒場で飲んだスコッチウイスキーの「お湯差し」
パリ、モンマルトルのカフェで飲んだブランデーソーダ。
ローマ、下町のバールで飲んだアマレット入りのシェケラート。
ニューヨーク、マンハッタンのグラマシーパークホテルの冷たくないマティーニ。
グランドセントラル駅のオイスターバーのラウンジのオイスターシューター。
ミラノ、ブレア地区のバールで飲んだカンパリソーダ。
バルセロナの中央市場のバルで飲んだラベル無しのシェリーをソーダで。
マドリッドに向かう特急列車のラウンジで隣り合わせた
初老のスペイン人にご馳走になったキューバ・リブレ。
マドリッド市内のバルで飲んだビアカクテル。
40代、中国洙海で山ほど呑んだ、生ぬるい洙海ビール。
マカオでマカオ料理と共に飲んだマカオビール。
香港のクラブで飲んだ真夜中過ぎのたぶん、テキーラ。

50代はまたにしてもたくさん、たくさんあった。
たくさん、たくさんあるけれど、ナンバーワンは30代のはじまり。
神谷町ホテルオークラのラウンジで飲んだ、夕映えのマンハッタン。
後に酒の師となる彼の所作と作り出す酒の景色に感動した。
本気でこの仕事に向かい合って、彼の酒を越えたいと思った。
未だに越えたかどうかはわからないけれど、そんなことは抜きにして、
あの景色を忘れることなく、いつまでも進化していきたい。
そう心に誓った日曜日。

日本国内で人民が大移動した連休最後の夜のこと。
とても素敵な父娘が酒場を訪ねてきてくれた。
20代前半の美しい娘と80代前半の父親。
80才を越えた今なお現役で、早朝から夜遅くまで仕事、
週末には趣味のゴルフを楽しみ、こよなく旅を愛する彼が言っていた。
与えられた情報や知識よりも自ら体験したことが一番だと。

そんな彼は若い頃、乗り換えのわずかな時間も利用した。
ニューヨークJFK空港からイエローキャブを飛ばし、
セントラルパークのベンチで林檎を食べた、たった1時間のマンハッタン。
それが彼の初めてのニューヨーク・マンハッタンとなり、
あの時の感情は今でも忘れられないとも言っていた。
何だか格好良いと思った。

これまで、たくさんたくさん学ばせてもらった数々のことを
自分自身で消化して、昇華して体現出来たら、殊の外うれしい。
そのためにはやっぱり、日々精進だと。

たまらなく愛おしい、たくさんの経験がとにもかくにもありがたい。

そういえば、初めて訪れたマンハッタンの朝6時に屋台で買った、
クリームチーズのベーグルと薄いコーヒーも美味しかったなぁ。
酒ではないけれど、あれもまた大切な記憶のひとつです、はい。

さてさて今年も夏が来る。
経験したことがない暑さになるとか、ならないとか…。

令和六年 セントラルパークを思い出す夏を前に
栗岩稔