2024/04/23 10:00


若々しい緑が美しく生い茂る、大きな榎の木の下で、

ヤクルトおじさんに会った。
ヤクルト製品を配達しているおじさん、ではなくて、
もうすっかり見ることのなくなった、
ヤクルトスワローズの帽子を被ったおじさん。
たしか濃い青だったはずが灰色になるほどの長い間、
ヤクルトスワローズファンのおじさん。
名前も知らないけれど、ヤクルトおじさんと勝手に呼んでいる。

はじめて会ったのは15年も前のこと。
木挽町仲通りの古くからそこにある果物屋で会った。
酒場で使うライム、レモンや柑橘類をそこで買っていた。
新参ものが地元の商店と顔馴染みになりたくて買っていた。
当時はまだ青が残っていたスワローズの帽子がきっかけで、
ヤクルトおじさんと話をするようになった。
球春にはヤクルトスワローズの順位予想で盛り上がった。

兄弟で切り盛りしていた店先に姿が見えない日が続いた。
少し意固地な弟が残り、ヤクルトおじさんはいなくなった。
身体を壊して入院して立ち仕事が出来なくなったと聴いた。
当時でも高齢者の域に入っていたはずだから無理もないと思った。
買い物に行っても会話することはなくなり、行く回数が減った。
風のうわさで、もう店に出ることはないと聞いた。

そうこうするうちに、自分もこの町からいなくなった。
ヤクルトスワローズが優勝した年にいなくなったし、
おじさんに会うこともないから、祝うことは出来なかった。
晴海通りを挟んで散歩の姿を見かけることがあっても、
わざわざ通りを渡って話すことは、もちろんなかった。
忙しいふりをしていた。

今日の午後、ヤクルトおじさんに会った。
もうすでに後期高齢者の域に入ったはずのおじさんは、
公園のベンチに座って手を振ってくれていた。
だいぶ老け込んだように見えるものの、変わらない笑顔だった。

「あー、こんちは!今年も今のところは残念な感じですね。
なんか定位置に戻っちゃったみたいで…。」
「いやー、だからさー、悩んでるんだよね、はははは。」
「がんばれ、ヤクルト、ですね。」
「いやー、ホント。ホント、がんばって欲しいねぇ。
でもほら、今年は祭りだからさ、4日だよ、4日。御輿が出るよ。」
「あー、鉄砲州稲荷ですね。本祭りだ。」
「そうそう、4日だよ、4日。御輿ね、御輿。」
「はーい。じゃあ、また!」
「おー。」

今日改めて、この町に帰ってきて良かったと思った。
1000年の歴史を刻む鉄砲州稲荷神社の祭りが見られるし、
近所の公園で開催する商店会主導の盆踊りで東京音頭が聞ける。
そして何より、ヤクルトおじさんに会うことも出来る。
他愛ないことかもしれないけれど、大事な話が出来る。

もうここ何年も日本のプロ野球そのものに興味を失くしていた。
取り立てて応援している球団もなく、選手もいなかった。
子供の頃には、
広島東洋カープの小早川毅彦にホームランを打たれた江川卓が、
片ヒザをついて見送る姿をテレビで見て巨人ファンを止めた。

今はきっと、隠れヤクルトスワローズファンだと思う。
別に隠れなくても良いけれど…。
とにかくがんばれ!ヤクルトスワローズ!
ヤクルトおじさんが元気なうちに優勝を!

雨が降りだしそうな空にビニール傘を忘れたことに気がついた。

令和六年 青いビニール傘が欲しくなった午後に
栗岩稔
追伸、榎とは、縁の木、縁退き、一里塚…。