2024/04/09 10:00


春雨前線が過ぎていく。

日本中が待ち焦がれている桜前線とは別に、
春の雨が過ぎていく。
少し前なら菜種梅雨、その名の通り菜の花を咲かせる雨。
別の名前は催花雨、感嘆の声を挙げさせるソメイヨシノだけでなく、
足元の、名も知らぬ小さな花々の開花を促すやさしい雨。
やはり、なんとも美しい言葉だと思うこの季節。
時期によって変わり行く雨の言葉が堪らない。

満開のソメイヨシノはさておいて言葉通りの雨を楽しんでいる。
世界中の人々も美しいと思うであろうソメイヨシノ。
これももちろん美しいとは思うものの、やっぱり気後れがするし、
何だか気恥ずかしくなる。

あまのじゃくとかそんなことではなくて、ソメイヨシノより、
茎と若葉の緑と白い花が美しいオオシマザクラが好きだし、
ソメイヨシノについては、咲く前の蕾の綻びと散り際、
花の終わりが好きだと思うし、
満開になると見上げることはなくなり、水面に映ったり、
夜空にほんのり白く映える花明かりが美しい、そう思う。
でも、やっぱり季節を日本の言葉の表現は美しい。

催花雨を過ぎて、晴れているのに降ったり止んだりする花時雨、
花が散って次の季節を促す桜流しの桜雨、
落ちた花弁が水面いっぱいに広がる花筏。
堪らなく美しい言葉の数々と儚いその景色。

江戸から明治の激動の日本に生きた武士の生き様を描いた映画がある。
そのラストシーンで、西洋の最新式の銃器に刀だけで立ち向かい、
最期を迎えるサムライが目にする桜吹雪に死に際の言葉が
「見事じゃ…。」
若い頃はわかったつもりでいたその意味、今では身に染みる。

今、残り15回のうちの1回目のソメイヨシノが咲いている。
春の雨に歩みを遅めた桜前線、美しいニッポンの春が来た。


満開を迎えようとしているある日の夕暮れに、
30年前、共に働き、酒を飲み、議論を交わし、
同じ目標に向かって苦楽を共にした友が酒場に来た。
「栗岩稔がいる酒場スタンプラリー」があったら断トツで、
いつの時代もどんな町でも事あるごとに顔を出してくれた彼。
今回は娘さんの大学の入学式のために上京した。
当時、共に過ごした渋谷の街でハレの日を祝うためにきた。
同い年の娘同士が同じ日に別々の街で入学式を迎えた。
30年もの間、付き合ってくれているだけでもありがたい。
次の世代の娘同士が付き合いを深めていけたらなおのこと、
こんなに嬉しいことは、ない。
カウンター越しに語らいながら、そう思った。

いつものバーボンソーダを飲み終え、腰を折るほどに頭を下げた。
「今度、娘と飯でも食ってやってつかーさい。お願いします。」
少し小さくなった背中を見送りながら思った。
「もちろん、当たり前だよ。次に会えたら4人で飯を食おうよ。
だからさ、今日も酔ってるけどさ、さっき渡した名刺失くすなよ。
ひとりで不安だろうからさ、必ず渡してよ、娘さんにさ。
飲み過ぎにはさ、気をつけないと。若くないんだからさお互いに。
ホント、ありがとね…。」

少し遅れた東京のソメイヨシノ、今年はそれが功を奏した。
まさしく、ハレの日に花を添えた。

今朝また花時雨に街が濡れた。
今晩は桜流しの桜雨が降るらしい。

子供たちにとって大都会の雨がやさしい雨でありますように。

令和六年 雨に濡れる夜桜を見上げながら
栗岩稔