2024/01/30 10:00

「人生は一度きりだから」この後に続く言葉。
「頑張れ」なのか「後悔しないように」なのか「楽しめ」なのか。
それは親にしろ上司にしろ何にしろ、年長者からの言葉で、
人生の先輩からのありがたい、励ましの言葉なのだろうと思う。
その言葉を受け取った本人の取り方というか心持ちなのかなと。
先日、何かのインタビューで、
「将来のために五年生から頑張って勉強してきたので、
後悔しないように頑張ります。」と受験前の六年生が答えていた。
社会の窓口である保護者や教師の言葉を基に出てきたのだろうけれど、
優等生過ぎる良くできたその言葉に違和感を覚えた。
人生は一度きりだから、学歴を重ねて、良い会社に入って、
高収入を得て、安定した生活を送るという将来、そういうこと?
自分は考えることすらしなかったし、何も考えることなく、
当たり前のように、地域の公立小学校から公立中学に進学した。
あの頃の将来が今なんだろうけれど、想像すらしていなかった。
確かに人生は一度きりなのだから、頑張ったほうが良いだろうし、
後悔しないようにしたほうが良いだろうし、楽しんだほうが良い。
自分は頑張れなかったことばかりだし、後悔ばかりだし、
反省ばかりで、楽しむどころか苦しいことばかりだった。
でも今がある。
一度きりの人生を生きていることを実感している、
ということだけなのかもしれない。
もしこの先、近い未来に医療や化学や科学が劇的に進歩して、
もう一度人生を、と言われても間違いなく断る。
今で十分です、と言える。
それだけはわかる。
今とは違う人生を、と言われても断る。
だから、「人生は一度きりだから」に続く言葉は必要ないと思う。
一度しかないということだけを理解出来ればそれで良いと思う。
続くはずだった一度きりの人生が、突然終わる人がいるし、
人生を実感する間もなく終える人もいる。
九十年、百年と人生を全うする人もいるだろうし、
庶民には計り知れないところで延命し続ける人もいる。
それぞれの人生について、とやかく言うつもりはない。
ただ人生というものを考えることは必要だと思う。
生きながら、想像出来る範囲で将来を考えれば良いのかなと。
自分はそうしてきたようなような気がする。
ただひとつ思うのは、今の子供たちが大人になる将来が、
平和で穏やかでやさしい世界であれば良いと心から思う。
今のおじさんたちの将来、企業に長らく勤めあげたおじさんたちが
年齢という区切りだけで退職した先に訪れる第二の人生、
セカンドキャリアとも言われることを学ぶ講座もあると聞く。
路頭に迷う人もいるだろうし、新たな道筋をつける人もいる。
居場所を失う人、新たに見つける人、家庭円満になる人、家庭を捨てる人、
想像通りか否かは別にして、それぞれの人生なのだろうと思う。
自分はおかげさまで、死ぬまで現場にいられる仕事にたどり着いた。
多分このまま、なんだろうなと思う。
人が寄り合う場で棺桶にする覚悟で現場に居続けていると思う。
これが自分の一度きりの人生なんだと実感している。
はるか彼方、忘れていた中学三年の頃を思い出している。
進路指導の席で担任教師から言われた言葉。
「人生は一度きりだぞ、お前の人生なんだからお前が決めろ。
お前がいけるところなんかないかもしれないけどな。」
生徒会役員と顧問という立場で議論が絶えなかったクラス担任と
最後の最後まで口論しながらも迎えた卒業式、
書道家でもある彼の達筆で全員に贈られた記念色紙には、
「八風不動」八方から風が吹いても動じない、とあった。
今、万が一会う機会が与えられたら話したい。
「風に吹かれまくって、風を感じて動いてますよ。
先生、ボブ・ディランって知ってますか?」と。
令和六年 春一番が吹く前に
栗岩稔