2024/01/21 15:45


○生きている、今?

U: スケールが大きいのか小さいのか、わからないまま始めちゃいますけど。
なんか、生きていることが嘘なのかなって思う時があって。
別に要らないじゃん、人間社会。みたいなことを思うことが若い頃、
30代前半にありましたね。今ではもう、生きているからしょうがないじゃん。
だから楽しもうみたいな気分になってますけど。
栗: わかる、それ。自分は存在自体が嘘なんじゃないかって考えてた。
F: Uさんはそのきっかけとかがあったんですか?
U: 境遇が悪いとか、心が病んでとかは全くなくて、ただ空しい、虚無主義みたいな。
魂の訴えみたいな感じでしたね。文化文明というものに対してですかね。
歴史書とかを読んでいるとモンゴルなどの遊牧民のように、
もっとシンプルに生きられるはずなのに、なんだろうこの状況。
そんな風に思うことがありましたね。
栗: 自分は10代の頃ネイティブアメリカンの本を読み漁っていて、
同じようなことを感じたかな。大地の声を聞いて忠実に生きる、みたいな。
生きることに対する考え方とか住む場所とか考えてたかな、当時は。
映画でいうと、クリストファー・ノーラン監督の「インセプション」みたいな。
現実というものの多面化、スパイラル、タイムループみたいな話。
自分は今どこにいるんだ、みたいな、あの感じもあるかな。
銀座、銀座って言っているけど、今ここにいる自分は自分?みたいな感覚。
U: 村上春樹さんの「ノルウェーの森」の末文ですね。
「僕は今どこにいるんだろう」っていう、あの一文を読んだ時は、何言ってるんだろうって。今になると、あ、そういうことかって、わかりますね。
栗: そうそう、あの感覚。自分は「ノルウェーの森」以降の村上作品は、
どうしても、読めなくたなっちゃった時期が長かったけど。
U: 確かに、あそこから入るとその後は結構難しいですね。自分はどこか無理してましたけど。そうか、これも自分に嘘をついていたのか。今、衣食住については良いモノに対する自分の欲求に妥協というか、我慢したり言い訳したりしないですね。虚無主義的なところもどこかにあるから、生きている以上はその中で必要なモノやコトに対して嘘はつきたくない感じですね。
栗: ベトナム戦争後のヒッピー文化はまさに虚無主義的なことの象徴だよね。
今、生きていることに希望を持てなくて、諦めというか刹那的というか、
それらが快楽に向かっていったあの感じ。ドラッグや放浪とか、ロックも、かな。
現実逃避したい若者たちのムーブメント、カウンターカルチャー、だね。
I: 現実逃避とかだと、周りに自分を知る人がいないところに行くのが好きなんですよ。日常的には自分に嘘をついていないと思ってますけど、どこかで自分に対して嘘をついているのかもしれませんね。
栗: 自分に嘘というより、最近特に無理をして生きている、
そんな感じに見える人が多い、増えた、そんな気がするよね。
I: 朝起きた時に布団から出たくないんですけど、今日なんか良いことがあるぞって、そう自分に言い聞かせながら起きたりしますね。
栗: 良いことがあるぞ、って思いながら起きるって大事だよね。
起きなきゃいけない、仕事にいかなきゃいけないから起きる、じゃなくて。
F: 現実逃避、か。
栗: 現実から逃げるための嘘もあるんだろうね。
他人の人生に関わってくる嘘もあるだろうし。
何気なく言った小さな嘘が大きな影響を及ぼすこともあるかもしれないし。
昔は結構キツイことを言っていたこともあったからなー…。
I: そればっかりは、そのときにはわからないですもんね。

○人との関わりのなかで
F: 良い嘘だと、親を心配させないようにとか、ですかね。
I: 自分にとっては良い嘘だと思っているけど、相手にとってはそうじゃないとか。
そういうこどもあるんでしょうから、相手が気づかなければ、それで良いのかもしれないですけど、
相手が気づいた時にありがとう気を遣ってくれて、なのか、えっ、嘘だったの!みたいな。
U: 人から重要な相談をされて、心の中では無理でしょって思いながらも、
言葉では大丈夫でしょ、なんとかなるでしょって言って、きっかけにしてもらうとか。それは嘘じゃないのかもしれないですけど。
F: なんか、どちらかというと思いやりみたいなところはありますよね。
栗: 良い嘘って思いやりもあるのかな。相手を慮ることとかも。
さっきの親を心配させないようにっていうのもそうだと思うし。
I: 極端な話。相手が思い詰めていても大丈夫、大丈夫って言っちゃったりして、
でも結局つぶれちゃったりすることもあったり、そんなことですよね。
他人の嘘に気づいたりしますか?
F: 自分はわりと気づくほうかもしれませんね。あまりしゃべらずに人の話を聞くことが多いので、
ちょっとした表情の変化とかに気づくことがあったり、人間関係の良し悪しに気づいたり。
自分は人を観察することが多いので、気づくことは多いですね。
栗: 酒場にいると大風呂敷を広げている人の嘘に気づいたりする、かな。
U: 面談とか面接とかで多少盛ることはあるのかもしれないですけど、
ゼロを100とか言う人はわかりますよね。
F: 仕事では特に良く見せようとすることが多いのかもしれませんね、特に。
人間的に魅力あるように見せたいんですかね、そういう人は。
I: 自分に正直に、多くを語らないほうが魅力的に感じますけどね。
F: ホント、そうですよね。
栗: 仕事では虚栄とか見栄とかは多少必要なのかもしれないけどね。自分もそうだったし。
F: 何歳ぐらいからですか?そういうことがなくなったのは。
栗: どうかな。独立してからかな。このままで良いのかなって思えたから。
それまでがしんどかったから特にね。独立して酒場を作った時が自分のサイズというか、
素のままの表現、体現だったかな。その後はニュートラルでいられたし。
今もその感じは続いているし、見栄を張らなくてもよい状態になっている感じなのかな。
今はありのままでいられる感じ。墓場まで持っていく嘘は消えないけど、増えてはいないね。
I: 見栄を張ることはないけど過小に言う、嘘みたいなものはありますね。
ストレートに表現すると疎まれたりした経験が子供の頃にあって。
小さな町だったので、テストで良い点を取ったら冷やかされたり、疎まれたり。
そういうことがあったので、言わないようになっていったのかもしれないですね。
でも東京に来たら気にならなくなりましたけど、相手を選んで言い方を変えるようにしてますね。
そのほうが、人間関係が崩れることがないように思いますね。
U: 人間社会には言葉上での嘘っていうのはありますよね。
栗: 人間関係を円滑に進めるための嘘があるのかもね。飲み会の誘いを断る時とかも。
自分に無理をさせないように、みたいなことなのかな。嘘も方便みたいな。
そういえば、嘘八百っていう言葉があるけど、八百までいくとすごいなって。
八百の嘘、ごたくを並べられるんでしょ、ロジックも合っていて。
それが結果的に本当になっちゃったりすることもあるかもしれないしね。
二面性のジキルとハイドや、狼少年、王様の耳はロバの耳や裸の王様とか、
昔からたくさんの物語があるから人間にはついてまわる感情というか行動なのかもね。
I: 良くも悪くも、ですよね。
U: もしかしたら、遊牧民みたいな生活をしていると少ないのかなって思いますね。
栗: 確かに、人間同士の関係性や定住している地域との関係性とかの影響は大きいのかもしれないね。
I: 金銭が絡んでくると特にそうですよね。
栗: 少し前にイヌイット族の本を読んだんだけど、
部族の強権的、独裁的で金銭欲が強い首長がいて、その存在が部族全体の存続に関わるようになって、
二番手の男が狩りに出る首長にクレバスの位置の嘘をついて、落ちた首長が死んで、
その後は部族が持続繁栄したっていう話なんだけど。
現代社会に属するか否かの部族全体の未来の判断をするべきところで、
金銭欲にまみれた首長が私利私欲に走った結果、命を落とすことになるっていう、
資本主義経済と人間本来の生き方みたいな、長い目でみてどちらが正解かっていう、
環境問題も含めた現代社会の問題を提起しているのかなって。
Uさんの遊牧民族には嘘が少ないかも、じゃないけれど、良くも悪くもね、
現代社会には嘘が付きまとうのかもね。
F: 嘘、嘘はほどほどに、ですね。
U: 現代人は特に、ほどほどに、良くも悪くも。
I: ですね。


次回は2024年1月27日土曜日午後1時にまた。
第十一回のテーマは「人生の設計図って描いていますか?」です。
ありがとうございます。