2024/01/02 10:00

令和六年がはじまった。
七丁目からはじまり、一丁目、五丁目、六丁目、また一丁目。
中央通り、木挽町通り、外堀通り、そして、また木挽町通り。
地上八階、一階、地下四階、地上二階と地上二階。
この二十年間のほとんどが銀座にいる。
否、銀座にいさせてもらえた、が正しい。
歩いていける範囲で仕事をする。
居れば良いと言われる仕事をする。
自分が演出した様々な時間を売る。
そんな大それたことを言い放ってきた。
恥ずかしくもなく、身の程も知らずに。
それがこの二十年間だった。
上手に出来ているか否かは棚に挙げ、
もう少しだけ使いモノになるかもしれない、
そんな自分に気づいた令和五年。
すべてのコトに感謝することが出来た令和五年。
今は銀座の端っこ一丁目、旧京橋区木挽町。
まだ都ではなく、東京市だった頃からある木挽町通り。
通りに面した建物の二階から町を見ている。
誰か来てくれるであろう酒場の時間を作っている。
人々が共にする時間の準備をして待っている。
今はここにいる。
ずっと、しばらく、ここにいる。
酒であろうと、服であろうと、他のモノであろうと、
それに関わる栗岩稔という人間が演出した時間を売る。
もう少しだけ、先を見据えて、立ち止まることなく、
歩みを進めていく。
歩みを止めて足腰が弱まることのないように歩き続ける。
もう少しだけ、時間を共にしてもらえるように。
今は晴海通りを真っ直ぐに歩いている。
令和六年のはじまりの栗岩稔