2023/12/26 10:00


令和五年が終わる。

年のはじまりに撮った写真を見ても、
あの時に何を考えていたのか覚えていない。
ただ漠然と、不安と期待が入り交じっていた気持ち、
それだけを覚えている。

あと少しで終わり、の今振り返る。
やっぱり人に会っていた。

新たな挑戦となる機会をいただいた春、
銀座の真ん中で世界的にも著名な酒場を預かった。
新たな役割をいただいた夏の終わり、
これまでの知見を基に会議の場に参加した。
新しい酒場を預かった秋、
東京での最後の大仕事をする機会をいただいた。
新たな事柄に挑戦することが出来た一年だった。

今いる、新しい酒場。
ここには、今年出会ったばかりの人も来てくれている。
30年前に全く別の仕事に就いていた時に出会い、
別会社ながらも未来を語り合った同世代の男も、
今映画を作っていると、吉報を持って来てくれた。
20年前に汗水はおろか涙さえ流した仲間も来てくれた。
酒場のある町からは「おかえり」と言ってもらえた。

最近出会った人、ずっとずっと前に出会った人、
たくさんの人たちが時間を超えた今ここで、
立ち寄り、寄り合い、語り合っている景色。
それを眺めながら、人のための拠り所となる時間を
上手に作ることが出来ている、と感じる。
ようやく、今やっと、そう思えるようになった。

すべての時間を大切に扱った。
忙しいという言い訳をせず、ひとつひとつの事柄と
それに費やす時間をしっかりと預かることが出来た。
その場にいられることに感謝した。

道教を起源に古くから日本でも祭事としてきた庚申講。
庚申(かのえさる)の夜に集い、酒食を共にして、
夜明けまで歓談する民間信仰であり、人の拠り所。
ふと、それを思い出す。

人々が立ち寄り、寄り合い、拠り所とされる時間。
それをこれからも作っていきたいと改めて今思う。

来る年は辰年、その後はへび、うま、ひつじ、さる。
還暦を迎える申年の自分自身を思い描きながら、
これから起こる全ての事象を受け入れながら、
その時間を紡いでいきたい。

今ここで、55年間で出会ったみなさまへ、
ありがとうございます。

令和五年の終わりの栗岩稔