2023/10/17 10:00

先週、南禅寺境内入口の公園で朝日に輝く噴水を見た。

明治維新後に政治、経済の中心が東の京に移り、
活力を失ってしまった京都を再び活性化しようと、
明治時代初期に計画された琵琶湖疎水。
琵琶湖から京都までの水路を作り物流の大動脈となるように、
何年もかけて人の力だけで完成されたその事業。
そのおかげで京都の町は活力を取り戻し、
今でも京都の人々の命の水として脈々と流れている。
その事業を記念して作られた「琵琶湖疎水公園」
100年も前の人の力というものを感じた。

日本はもとより人間は古くから水や火とともに暮らし、
それを支配し制御して動力に変えながら現代の姿まで作り上げた。
人間の凄さや怖さを感じ、水を見ながら火を思った。
朝の光を浴びて水の流れる音を聴きながら考えた。

原始的なヒトが火や水を扱うようになってから現代人へと進化した。
今この世の中では、火、水、土といった資源や燃料が要因となり、
大陸間、民族間、宗教間での紛争が絶えることなく続いている。
本来、収穫したものを保存したり、調理用の器を焼成するための火。
それが、やがて始まる争いや諍いのための武器になり、
古くから変わることなく、終わることなく続いている人間同士の争い。
今、この瞬間でも世界のどこかで起こっている。

方や自然界では、大地を揺るがす大地震や大津波、
自然発生して焼き付くす山林火災、すべてを流し去る大洪水、
人類の生命そのものに問いかけるような事象が発生している。
一人きりでは考えが及びもしないものの、大丈夫?って思う。

今週、まだ銀座でも人の営みがうっすらと感じる唯一の町、
旧木挽町に帰ってきた。
そもそも木挽町一体は、今となっては見る影もなく、
燃料を消費して排気ガスをはきながら高速で移動して、
首都圏の大動脈となっている自動車のための道路が、
川だった頃に水路として運び、陸上げした木材、
それを加工する職人たちが住んでいた町、だから木挽。

当時の人々が作り上げた江戸から東京になるまでの建物が、
明治以降さらに発展し、今でもまだ、新しく建物が空高く、
想像も出来ないほどに高く高く伸び続けている東京。
そのはじまりを作った人々が暮らしていた木挽町という町。

だいぶ前に「火水土」という飲食店があった昭和の建物が壊された。
短くても80年は覆い隠されていた東京の土に出会った。
あたりに広がっていた土の香りに過去の人々の生き様を感じ、
作っては壊し、壊されることを続けてきた江戸から東京、
この街に愛着が沸いてきた。

その80年前の東京の土のさらに深いところの土で酒器を作った。
またすぐに覆われてしまい、二度と見ることがない土、
それをカタチとして、使いたい、古来の人間が土器を作ったように。
その想いを理解してくれた作陶家に作ってもらった。
もともと粘土質ではなく色々なものが混ざった土、
それを粘土にする作業に試行錯誤しながら、
火と水と土に向き合いながら一年近くを要した。
木挽町の粘土で出来上がった手心地の良い酒器。

銀座の端っこ木挽町から掘り出された土の木挽町粘土、
生きている間にはもう見ることのない土で出来た酒器、
それを携えてこの町に帰ってきた。

町を離れた時は仕舞った器をまた使う日々が始まった。

令和五年 ようやく金木犀が香る頃に
栗岩稔