2023/08/29 10:00
今、45年あまり続いている酒場にいる。
1時間前までは、6年目を迎えた酒場にいた。
昨日までは、1年と半分だけの酒場にいた。
先週は、2年目を迎えようとしている酒場にいた。
自分の酒場で、誰かの酒場で、
これまで、たくさんの人と時間を共にしてきた。
30年以上通っているこの酒場には、今10人いる。
カウンターの向こう側には、20年以上顔見知りの女がいる。
カウンター真ん中には目で挨拶した男がタバコを吹かしている。
たった今、男がカウンターに取りついて自分の時間を始めた。
背後のボックス席には若い男が二人楽しそうにしゃべっている。
左手後ろ、元は立ち飲みでテーブルゲームを楽しんだ席では、
同年代と思われる男が3人、語り合いながら飲んでいる。
店主は、最低限のやり取りでスムーズに仕事を済ませ、
カウンター内の定位置でいつものタバコに火をつけた。
私はカウンターの一番端で2杯目のビールを飲んでいる。
この酒場は、これまで付き合ってきた女をすべて見ている。
私の大事な居場所で、誇れる場所だから必ず連れて来た。
東京タワーを臨む窓際の定位置で愛を語らず夢を語った。
叶うはずもない大きな夢を大いに語った。
主宰しているイベントでは、愛について語り合う。
→ https://www.kuriiwastyle.com/blog/2023/08/22/100000
今となっては、夢を語らず愛を語るようになった。
歳を取った、と思う。
酒場に限らず人は集う。
それぞれに住まいがあって、職場があって、居場所がある。
でも、何故だか、それ以外の場所でも人は集う。
今いるところは、日本という国の東京の何処其処、
そんな意識を持っている人はいない、と思う。
今、目の前にある場が居場所で、共にする時間。
今、私は酒場にいる。
そこに店主がいて、介在する酒があって、音楽がある。
余計なおしゃべりはなく、ただ其処にいる。
居たいからいる、ただそれだけ。
そして、それぞれに楽しんでいる。
どこかのメディアで紹介されたとか、SNSで話題とか、
何が良いとか、何が有名とか、そんなことではなく。
理由付けすることもなく、ここにいる。
引き寄せられるように、ふと思い出して、足が向く。
そんな酒場の素敵な時間。
皆に帰る場所があるかもしれないものの、今はここ。
限りある時間を共にする酒場という共同体。
司馬遼太郎著「街道をゆく/台湾紀行」の中で、
人びとの共同体への愛は、
それまでは、せいぜい村落や生まれた地域までだったものが、
フランス革命以降に国民国家となり、そこに生まれた帰属意識、
それによって地理的に広まったと書いていた。
たくさんの人が広すぎる世の中に生きている。
そこに、抱えきれないサイズの中で一人で生きている。
そんな一人一人が拠り所とする場が何処かに必ずあると思うし、
持っていて欲しいと思う。
帰属意識はないけれど、
そこには、ルールではないモラルがあって、
互いに気遣い、互いの時間を大切にするこの酒場。
その流れ去る時間が積み重なった45年。
それぞれの愛がある酒場の時間。
それぞれが愛して止まないその時間。
眼下には流れるように運ばれるJR各線のたくさんの乗客、
目の前には未だ明かりが灯る大きなビルのたくさんの会社員、
そして、今ここにいる10人。
一週間を終えようとしている、たくさんの人、人、人。
すべての人にとって何かしらの愛がある時間でありますように。
こんなことを言えるようになったことに驚きながら、
それにしても歳を取った、と感じる土曜の深夜。
そろそろ日付が変わる、今日が終わる。
明日は誰にも会わないひとりの時間。
令和五年 土曜の夜の止まり木で
栗岩稔