2023/08/22 10:00
「愛」について考えている。
「愛」と言ってもいろいろある。
人間同士はもちろん、動植物に対する愛。
建物、道路、街路樹、町そのもの。
その町を行き交う知らない人同士。
今は、そういうものに対する愛が足りないと思う。
そんな、世の中の「愛」について考えている。
いつの頃からかわからないくらいに、
東京の町には必ずと言っていいほど、そこにあるコンビニエンスストア。
独り暮らしの老人のための小ぶりの惣菜。
金融機関のATM、切手、印紙販売、郵便、宅配の受け付け。
クリーニング品受け渡し、イベントチケット受け渡し。
行政機関の個人証書の受け取りまで。
今では市井の人々の生活の大切な役割を担っているし、
情報の発信、伝達の場でもあるし、何より町の拠り所になっている。
その日も、古地図に名前が残る、江戸時代からある町、
その町のコンビニエンスストアは開いていた。
当たり前のように、そこにあって、人を待っている。
つい、足が向いた。
この店には、ほぼ必ずと言っていいほどに、そこにいる店員。
昭和の古くさい人間のダメなところでもあるし、
慣れないというか、懐疑的に構えてしまう異国の地の店員。
今では当たり前に必要な人員であるとわかっていながら構えてしまう。
いつもそこにいる、たぶん中国系だと思う女性店員は違った。
何度か通ううちに気づいた。
一番声が出ていて、一番人に気づいていて、人を覚えている。
そして、何より気持ち好い挨拶をしている。
その日も、この町に来たことのあいさつのように立ち寄った。
今では想像も出来ない寒さが残る春先のこと。
仕事の技術向上のための(今さら遅いかもしれないが…)練習で怪我をした。
指先をざっくり切って、貧血になるくらい大量出血をした。
周辺に薬局はないので、そのコンビニエンスストアに走った。
まさに救急の水絆創膏(医療用瞬間接着剤…)と大きな絆創膏があった。
使えない血だらけの左手を隠して、人目に付かないように会計をした。
その女性は気づいて、片手では開けられないからと、
箱を捨てて中身を出して封を切ってくれた。
とてもありがたく、とてもうれしかった。
左手全体に廻る鈍痛と止まらない出血に耐えながら、
心は温かかった、その寒い夜。
今では指先が変形して神経が通っていない気もするものの、
傷が癒えた指先を擦りながら立ち寄った。
その日も、いつものように心地好い声が響いていた。
ただ、その日は別の舌足らずな女の子の声が混ざっていた。
「今日ねぇ、お盆だから、いつもより大きいのを買うのー。おじいちゃんも来るからー」
「あー、そうなんだね、楽しみだね」
「みんなは、おうちをキレイにしてるから、あたしがおつかいに来たのー」
「偉いねー」
「うん!でもね、帰りは少しコワイんだ、入るところが」
「そっかー」
その後の会話は途切れて続きはわからないものの、
大気不安定で、気圧に負けた不安定な身体が楽になった。
そして、今すぐに必要ではないものを買って店を出た。
角を曲がったところで二人の後ろ姿を見つけた。
釣り合わない身長をあわせるように伸ばした腕と曲げた膝、
手と手を繋いだ二人は大きくて冷たい感じの入口で、
「ばい、ばーい、またねー」と大きく手を振る女の子。
「はーい、ありがとねー」と小さく手をふる女性。
何度も振り返りながら無機質に開くガラス扉に吸い込まれる女の子。
見えなくなるまで見守る女性。
厚い雲に覆われて湿った風が吹く夕暮れがさわやかな時間になった。
秋風が吹く頃には、この町に来ることがなくなる。
取り立てて用事がないのでもう来るはないと思う。
ただ、変形した指先に触れるたびに思い出すと思う、
あのコンビニエンスストアだけは。
あ、でも近所に旨い蕎麦屋があるから来るかも。
あの蕎麦屋の主人のところにも近所の人が集まって、
町内の子ども祭りの話をしてたな、この前。
そういえば、あの蕎麦屋の夫婦も中国から、だったっけ…。
いやいや、ホント、国籍、人種、民族、宗教、性別、年齢、
そんなものが全く関係のないところにあるもの、
それが、町の愛ですよ、愛。
令和五年 風が変わり処暑を迎える頃に
栗岩稔
追伸、というかお知らせ、です。
今週末、8月26日土曜日は、
栗岩稔と人間学後半の第二回
「愛したことや愛していることってありますか?」
をテーマに開催します。
みなさまが考える「愛」を語り合えたら幸いです。
あ、恋愛相談はナシですね、面倒なことになるので…。
これまでの様子は↓