2023/08/18 14:30

人の死が及ぼすこと

YU: ここ最近、有名人の死や自殺が結構あるじゃないですか。そういう世間に知られている人の死って、

たくさんの人にボカンと穴を開けたようになるのかなって思いますね。喪失感みたいな。

栗: 一緒に引っ張られたりする人もいるけどね。そういう人たちって映像が残るでしょ。

YU: それを見た時の感情って複雑ですよね。自殺だとショッキングで、何かイヤな気持ちになったり、

けど大往生した人のものって、この人の演技は良かったなって思ったり。

やっぱり自殺は違いますね、残された側の感情が。だから今日はあまり触れないほうが良いのかなって。

栗: でもさ、触れなきゃいけないことだと思うよ、やっぱり。けれど、あまりにも大きなことで、

一日話しても足りないぐらいじゅないのかな。あと宗教感的にも難しい話題だよね。

YU: 自分は死んじゃえば終わり、ですけどね。

栗: 自分がイヤだなって思うことは、つい最近もあったけど、高校野球の地方大会の報道。

決勝で勝ったチームの元コーチでプロ野球選手だった人が亡くなったばかりで、

その人に想いを届けたいみたいに、人の死を美談に絡めることかな。元コーチに捧げた優勝みたいな。

戦っているのは当事者、選手や監督なのに、何でそこに結びつけようとするのかなって。

良いじゃん、精一杯生きて、頑張って戦ってきたんだから、それだけでって思うね。

美談として報道されるあの感じがね、何だかね。

YU: 僕のメディア嫌いの要因のひとつですね、それは。

栗: 監督のコメントとして載せるのは良いんだけど、それにクローズアップして先に出ちゃう感じがね。

YU: もしかしたら、そのコメントすら誘導されていたりすることもあったりするんじゃないですか。

見出しにするために、みたいな。その感じはどうかと思いますよね。

栗:自分が大好きな坂本龍一さんの時はさ、何か最期まで計算されていて美しく終わったように思うね。

余計な報道もなく、死をコントロールしていたような、あの感じがね、

終わりの時や終い方までも坂本龍一として演じ切ったんじゃないのかなって思うね。何か美しいんだよね。

CU: 私は栗岩さんの最期を楽しみにしていますよ、ホントに。

栗: えっ。昨今、言われる70才説ね、きっと。それを過ぎてみなさんに会うことがあったら、

「あれ、まだ生きてるじゃん」って、言って欲しいですね。

まあ、でも本当に無理かもしれないけど、死ぬ瞬間の言葉を残したいですね。

YU: 15年ぐらい過ぎれば、そろそろ脳波を言語化するシステムとかが出来てるんじゃないですか。

テクノロジーの進化に期待してみたら良いんじゃないですか。もうすでにあるような気もしますけど。

わからないけれど、そういう類いのものは。

栗: でも、それってさ、倫理的に止めるんじゃないかな。宗教的にも。

死後の人間っていう概念というか、死後の世界っていうことも、基本的にはないでしょ。

YU: 脳波っていうか意思を持って考えたことを信号化してアウトプットするシステムですね。

栗: あ、そうか。それだったら、生命ではなく思考だからイケるのかも。

YU: それを同意の上で死の時に身につけていて、みたいな。

栗: それ、面白いね。その実験材料にしてくれないかな、なんて。

人体に埋め込むICチップはすでに出来ているからね。どこかに提案してみようかな。

死ぬ時の言葉を残すシステムを開発しませんかって。ま、とにかく、その時が楽しみだよね。

I: それは不慮の事故とか、急死とかでもですか?

栗: そうそう、それでも良いかな。今日この帰りにでも、それでも良いかなって思ってるかな。

ま、事故に遭ったら「痛っ!」みたいに思うのかもしれないけれど。それはそれで、ね。

YU: それって、経験として死んでみたいっていうこと、ですよね。

栗: そうね、それもあるかも。もちろん生き返りはしないけど。

YU: その時にこんなんだったよ、って言えなくてもですよね。

栗: 言えないことはしょうがないし、それでも良いかなと思ってるね。

死んでみたいって言うと語弊があるけど、知りたいかな。生きたくても死んじゃった人には申し訳ないけど。

YU: 探求心なんでしょうね、それも。

栗: 子供の頃に決めた責任が、今この年で果たしたというか、肩の荷が降りたというかね。

もう良いんじゃないかな、っていうのも実はある。十分やったでしょって。

この前久しぶりに海に行って波間で身を任せていたら、ふと、もう良いかなって。

力を抜いて全身を任せる瞬間に出会っちゃうと考えたりしちゃうのかもしれないね。

YU: 崖っぷちに立った時に感じる、あの引力なんかもそうなんでしょうね。

ちょっと理性を外したら一歩踏み出しちゃうかもしれない、あの感じ。

栗: それもまた、試してみたい、体感してみたいってこどだよね。


生きている間に

I: さっき栗岩さんの友達に対する責任という話をされてましたけど、

人生において果たすべき責任とか使命とかの考えを持ったことはありますか?

CU: ない、かな。親は看取らなきゃ、とは思っているけど、今だと旦那もか。

だから、この人たちさえ看取れば責任的なものは他にないかな。

栗: 自分は娘かな。あと5年。だから還暦還暦って言っているのもある。

プラス5年であと10年で親の責任というものは果たせるかなって。

友達の話は50才で自分を許したところもあるので、残すのは親としての責任ですね。

CU: YUさんはありますか?

YU: 僕はないですね。親はいますけど、責任という考えをしたことはないですね。

何か手助けが必要になれば、もちろんしますけど。責任という風に考えたことはないですね。

それが責任というのであれば、そうですけど。ただ普段は全くそう意識していないし。

栗: 自分自身に課している、ということは?

YU: それもないですね。多分、ないから結婚とか家庭を持つとかの考え方がないのかなって。

事業を成し遂げてみたいっていうのもないし。自分では到底出来ない無理なことに対して、

考えたりしたことはありますけど、出来るわけもないし…。自分自身のことではないですね。

栗: 仕事は今のままスキルアップ、ステップアップしていく感じ?

YU: そうですね。仕事も自分が良い方向に生きるためのものなので、娯楽のためでもあるし。

今の職場で魅力がなくなったら転職も考えるかもしれないですね。

栗: Iさんはないんですか?責任とか使命とか。あ、無いから聞いた、とか。

I: 責任というか、仕事で目標にしていた海外出張が達成されて、今のところないんですよね。

栗: 例えば、今の職場環境でアジアに留まらないでカリブ海まで航路を開拓する使命とか。

そういうことを考えたりはしないんですか?職場を変えて生き方を変えるとかもそうですけど。

I: 今ひとつ終わったばかりで取り敢えず今のまま…。交渉力や実行力がないので。さあ、次は何を持って生きるかみたいな感じですね。

YU: 仕事で足跡っていうか、何か残したいかっていう話だと、映画のような作品のなかで、

クレジットが残るじゃないですか。そういうものに憧れていた時期はありましたね。

ただ、そういう名を残したい、みたいなことがだんだん、どうでもよくなってきて、

残したから何だろう、みたいに。そんなに簡単なことでもないし、

名を残すために無理矢理それを目的にするのも違うなって。

I: 今、話しを聞いていて、今の私には野望が欲しいって思いました。人からもらうものではないけど。


ー後編2に続きますー