2023/08/18 14:24

描かれる生と死

YU: 生きていることが嫌になるとかいうストーリーの小説とか創作物があるじゃないですか。

あれって、どうなんだろうなって。実際にあるものなのかなって。

栗: いっぱいあるよね、死を描いたものって。小説、映画、絵画、日本画もありますよね?

CU: ありますね、朽ち果てていくような表現のものとかも。

栗: 死を描いたものって、たくさんあるけどさ、生を表現しているものって、少ないと思うな。

思いつくものでは、ボッティチェリのヴィーナスの誕生とかかな。

でも、あれは宗教的要素が強いから、本当の意味での「生」ではないけれどね。

YU: 確かに死を描いて生の表現をしているのかもしれないですけど、

生そのものを描いたものっていうのは、あまり無いかもしれないですね。

栗: 例えば、身体が不自由で、だから戦って生きていきます、みたいな表現のものはあるけれど、

普通に生きている人の生を描いたものって少ないなって。

死にたくなったけれど、やっぱり頑張って生きていて良かった、みたいなストーリーはあるけど。

だから割りと皆が死に興味というか意識があるのかなって、そんな風に思うね。

YU: 物語として起承転結を描きやすいじゃないですか、死は。

今聞いていて思ったのは、じゃあ、生を描くって何?って。

例えば、生について描いてはいないけど、日常を描くことによって、

死ではなく生という日常をテーマにしているのかなって、どうなんですかね。

ラブストーリーは別として、生を描こうとして描いている人っているのかな、って。

栗: 確かにネタにならないから、描かれないのかもね、きっと。生を描くって何ですか?って。

YU: 生命力ということになるんですかね。

栗: そうかもね。そうすると動植物の生命力を描いたものがあるけど。人間の生命となると、

信仰心から表現したものはあるけど、あまりないよね。特に日本では。

CU: 日本だと富士山とか?

栗: 富士山、そうですね。ただ山岳信仰の象徴的な一面もあるしね。

(少しの間に差し込む蝉の声)


自分の死のとき

栗: 良いですね、このモヤモヤした感じ。すごく難しくて、答えが見つからないことだから、

後半の一回目に持ってきてみたんですよ。面白いかなって。

YU: 確かに面白いという表現で良いかどうか別にして、良いですね。

栗: 自分はギリギリの体験もしてきたから、なおのこと。実際に臨終の瞬間も見ているし。

その時は何となく美しかったんだよね。もちろん、悲しみはあったけど、何となくね。

だから何だろうな、死って。かといって自分が死ぬ瞬間はわからないだろうから、それはそれで。

書き残せるものだったら書き残したいですね、何かしらを。

CU: 死ぬ瞬間かー。何を書き残します?

栗: もちろんわからないけれど、こうだったよって、残したいかな。

こんな感じだよ、割りと痛みを伴うよ、とかね。

YU: 光が見えた、とか。

栗: そうそう、そんな感じ。誰か残してないのかな、死ぬ瞬間の言葉とか。死ぬ直前はあるけど。


YU: あれ、今日のテーマって死でしたっけ?

栗: いやいや両方、生と死。

YU: やっぱり死の方に寄りますね。

CU: わからないからね、誰にも。

栗: 生きるってさ、みんながんばって生きているわけだからね。

自分は子供の頃に出した答えに添って生きてきたつもりだけどね。でも何だかね。

YU: 生きることは死ぬことって、よく言うじゃないですか。でも何だか自分は実感が湧かないですね。

栗: 自分が子供の時のことは、紙に書いてみただけのイメージだったかな。

40才を過ぎて、あ、こういうことか、みたいな感覚を持ったかな。

CU: 今はわかるんですね。

栗: そうね。だから今は楽しくてしょうがない。あと15年って、よく言っているけど、

例えば、今が70才だとして、ここにボタンがあって、はい終わりました、みたいな感じでも良いかな。

YU: でもボタンを押すという行為や判断に対する防御策、安易に押さないようにすることは必要ですよね。

栗: そこが他人からみた本人の意思の尊重になるのかな。日本では安楽死が認められていないことも、

そういうことだと思うけど、周りから見た本人の意思の尊重だよね。

まあ、でも死刑が認められている国だから、何だかおかしな国なのかもね。

YU: 今のことって、生きることは死ぬことって、計画的な話し、になるんですかね?

栗: 生き様のこと、かな。漠然と生きていくんだったら、それはそれで良いと思うけど、

意義を持って、もちろん収入とか食べることや生活することとかを考えたら、

経済的な活動が必要になるでしょ。それがイコール生きるみたいな話しなのかな。

狩猟民族だったら別だけど、でも狩りが出来なくなったら絶滅する可能性があるわけだし。

現代社会に生きる人はお金を稼いで、住まいを持って、ごはんを食べて生きているじゃない?

生きるために稼いでいるわけじゃない?それが結局生き様になっていて、

それが、あと15年で良いかなって思ってる。70才を過ぎたら漠然と惰性で生きる、で良いかな。

朽ちていっても良いかな、ぐらいにも考えている。朽ちるかどうかは別にしてね。

まあ、でも難しいね、この話しは。今回は自殺は外していたいと思っていて、

それは。考え方が全く違うと思うし、だからなおのこと難しいと思う、かな。

YU: そっちに話を振ると社会問題とか道徳的な話しにいきそうですよね。



今、この先の時代に生きること

栗: でもさ、CUさんが話してくれた10才の子供が死にたいって言っているということは考えちゃうね。

CU: 重いことだなって思ってますね。大変ですよね、この先が。今あの年で。

YU: 社会全体に希望が見えないですからね。

 CU: そう。わかると思いますよ。子供たちにも。ホントに見えないから、希望が。

親のこととか見ていると、見えちゃうというかね、その先にね。

YU: 何か大人が楽しそうに生きていないから、そうなると思うんですけど。

他から見て、僕なんかは比較的に楽しそうに生きているほうだと思うけと。

やりたいことたけやって、やりたくないことはやらないし。

僕は今38才で、25才の頃には、ギリギリ経済が持ちなおすかどうかのところだったんですけど。

その頃って、みんなが楽しそうじゃなかったし、希望は持てなかったですね。

これから先どうするのって感じでしたね。だから今の児童、学生とかの周りで希望を持って、

楽しそうに生きている人がいたら台頭してきて、 世の中を元気にしてくれるのかなって思ったり。

栗: ま、この先はだいぶ変わるだろうけどね。価値観とかも。世界情勢を含めて変わっていくと思ってる。

YU: そういう波がありますか?

栗: 国というカタチを取り払って考える子供たちが 増えてくるんじゃないかなって思っているね。

人種、民族も含めてね。そうすると日本じゃなくても良いじゃん、みたいな子供たちが増えてくるかな。

だから日本に希望を持てなかったら他所へ行こう、みたいな。大学とかもそうだと思うし。

もっともっと学びたいからアメリカへ行こうみたいな、アメリカが全てではないけどね。

自分はそういうことに気づくこともない田舎の町にいたし、そういう時代でもなかったから、

今の感じで子供の頃だったら日本にはいないかなとも思ったり。希望を持てないという意味ではね。

幸い諸外国を見ることが出来たから日本が好きにはなっているけどね。

CU: 希望は必要なんですかね?希望ってあります?

栗: 希望ね、自分の希望はない。若い頃は大きな夢を持っていたこともあったけど、

それが、少しずつ消えていくわけじゃないですか、消去法みたいに。

そうすると徐々に現実が見えてきて、逆に楽しく感じるようになってきたかな。

YU: 必要なのは若いうちで、自分の足で歩けるようになったら大丈夫っていうか。

栗: 目標を立てて、希望と目標がイコールだとしたらね。

目標があって、そこを目指す道筋が見えてきたら楽しくなって来るんじゃないかな。


ー中編2に続きますー