2023/08/15 10:00

高校野球がはじまった。

今年で百回を優に越える大会の正式名称は、

「全国高等学校野球選手権大会」。

私にとっては、「甲子園」のひと言、私の大切な年中行事。


今年は何十年かぶりに開会式から見た。

コロナ禍を経て数年ぶりの全員参加の開会式。

ワクワク、ドキドキの臨場感を覚えながらも、

各校が順に(今年は北から、らしい…)入場行進する姿に、

モヤモヤとした違和感を覚えた。


腕を降って、足を上げて、全員揃えて隊列行進。

もちろん、生徒たちにどうこうなく、

美しい姿だとは思うものの、

その全体の景色に違和感を覚えた。


もうひとつの風物詩、ラジオ体操。

子供の頃は、義務とアイスキャンディのために参加していた。

大人になってからは、近所の公園で開催していたら好んで、

その動きが身体にとても良いものだと感じて参加していた。

子供の頃には気づかなかった、動きの意味を体感していた。

ただ、一斉にラジオ放送がはじまり流れるテーマソング、

「新しい朝がきた 希望の朝が 喜びに腕を広げ~」

あの曲の間にしている足踏み、あれがイヤだった。

軍隊みたいだなと思っていた。


昭和三年からという長い歴史があるラジオ体操は、

昭和天皇即位を記念して始まった「国民健康体操」をもとにしていて、

太平洋戦争後には GHQ の指示で中止されたものの、

昭和二十六年に第一体操で再開され、翌年第二体操が出来て、

今の今まで変わらず続いている。

戦前には「第三」もあったらしく…、この長い歴史を考えると、

あの足踏みは、そうなるよな、と思う。


久しぶりの開会式で覚えた違和感と同じだった。

大正四年に始まった「全国高等学校野球選手権大会」は、

日中戦争時には形を変えて、開催回数に含まれないながらも、

開催し続け、今に繋がっている球児の憧れ「甲子園」。

球場を変え、形を変え、困難な時代を乗り越えてきた中でも、

変わらず続く開会式の入場行進。

それは、旧帝国陸軍の隊列行進をもとにしている、とのこと。


元来、スポーツと軍隊の結びつきは強い歴史の中で、

八十年代以降の開会式の入場行進は、

参加する選手たちの喜びと興奮の表現の場となってきていて、

特に、地域や国同士の戦いとなるオリンピックでは如実に変わった。

だけど「全国高等学校野球選手権大会」は変わらない。

変わらないことが良い、という頑固な意見もありそうなものの…。


どうなんだろうな、その辺りは、などと複雑に考えながら、

やっぱり高校野球が好きで、甲子園が好きなことに変わりはなく、

今年も時間が許す限りはたくさん観て興奮して感動して、

勝手に分析して、勝敗予想して楽しみますよ、はい。

けれど、旧態依然とするあの様式はどうなのかな、って…。

何年か前の地方大会で喜びいっぱいで入場した学校に対して、

高校野球連盟から注意勧告があったというし…。

ま、良いんですけどね、純粋にスポーツとして野球が楽しめれば。


その「野球」という呼称。

明治の頃にアメリカから渡来した「ベース・ボール」に、

「野球」と名付けた正岡子規はこの上なく野球を愛し、

明治時代の野球人のひとりに数えられるほど。

その正岡子規が明治三十一年に詠んだ句に

「夏草やベースボールの人遠し」がある。

人生の最期を悟り病床に伏せながらも野球に想いを馳せた一句。

もともと武家の出自の彼は投手対打者の一対一の真剣勝負に、

その血が踊るような熱いもの感じたのかな、などとも思うし…。


ま、いろいろ書いてますが、ホント、野球が好きなんですよ。

だから、時間があればテレビジョンにかじりつきますよ、はい。


八月十五日もきっと観ますね。

毎年この日に生徒が黙祷する姿で戦争を見つめ直してきましたから。


「夏草や兵どもが夢のあと」

人間は世界中、どこかで、ずっと、そうなんですかね。


令和五年 八月十五日を甲子園で

栗岩稔