2023/08/01 10:00
八月になった。
街中には夏休みの子供たちを目にする。
ただ、暑すぎる東京では夏らしいことはおろか、
危ない夏にもなりかねず、大変な夏休みか、とも。
子供たちの心配よりも暑さが身体に堪えるようになった今、
自身の夏休みを振り返ると、
ひと言、夏休みが嫌いだった。
土地柄で都市部に比べて
短かい休みの期間と夏そのもの。
半ば強制のような毎日の水泳の実習への参加。
水泳が大の苦手だったあの頃、
プールを見るのも嫌だった。
気が重い毎日のなかでも、
冒険のような山遊びは好きだった。
沢ガニを捕ったり、桑の実を食べたり、
アケビに貪りついたり。
そんなことを考えていたら、
読みたくなった本が浮かんだ。
「夏の庭-The Friends-/湯本香樹実著」
分類上では児童文学というものらしいが、
とても良いと思う。
誰にでもあるように思う
子供の頃のほろ苦く酸っぱい記憶、
ちょっと切なくなるあの感覚を
ジワジワと心地好く感じられる。
1992年刊行以来、
増刷を重ねているのはもちろんのこと、
世界十数ヵ国で翻訳出版され、
舞台化され、映画化されたりと、
いつまでも色褪せることのない作品になっている。
今手元にはないので探した図書館の若い職員も、
「私もそれ好きで、何度も読みました」と言っていた。
もちろん映画も、何度も観た。
本の内容とは異なることが多いのは
当然のことながら、
名優たちが名を連ね、
大人も十分に楽しめる作品になっている。
中でも物語の中心となる
老人役の三國連太郎さんが素晴らしく、適役だと思う。
その内容は、というと。
小学六年生の男子三人組と
独居老人の交流で物語は進行する。
はじまりは、三人組の一人が
祖母の葬儀で「死」を見たことから。
他の二人も「死」を見てみたいと思うようになり、
町内にある独り暮らしの老人の
古い家を見張ることで、
死にかけていると噂されている老人の死を見ようとする。
やがて「死」よりも大切なこと、
いたわりとか愛に目覚め、
心を閉ざしていた老人も心を開き、
真の交流がはじまっていく。
そして、子供たちは大人に、
老人は「死」に迎えられていく。
老人と子供、双方の立場がわかるようになった今、
(だんだんと老人より、になっているが…。)
改めて、良い物語だと思いながら、
背筋を伸ばして読んだ。
この夏にまた心に残った。
私が見たはじめての「死」
それは、祖父母を知らない私にとっては
友人の「死」だった。
一緒に遊んでいた友人が
事故で大怪我を負い、翌日に死んだ。
悲しみをはるか通り越して感じたあの時の「死」は、
突然そこにいなくなってしまうことが「死」だった。
あれ以来、人前で泣くことをやめて、冒険をやめた。
二人分生きていくことを心に決めた。
次に「死」を考えたのは、
中学時代に読んだ夏目漱石の「こころ」だった。
鎌倉市由比ヶ浜からはじまる
「私」と「先生」の交流、
「私」と「両親」の交流、そして「先生」からの長い手紙。
「私」はその手紙に「死」を見つける。
この本を読んだ後から自分なりの
死生観が出来たように思う。
人は死ぬ時のために生きている、悲観的な考え方ではなくて、
生きることは死ぬこと、死ぬまで生きる。と思えたあの頃。
大人になって、鎌倉市由比ヶ浜に居を移した時、
この物語を思い出して感慨深く
、砂浜で独り「こころ」を読んだ。
しばらく読んでいないから、次は「こころ」かな。
どんな風に感じるんだろ、今は。
令和五年 夏の庭で夏の海を思い出す八月に
栗岩稔