2023/07/16 12:17
それぞれの幸せの場
栗: Sさんはいつも幸せそうに見えますね。
S: 幸せですね、いつも。周りからもよく言われますね。
栗: 結婚して30年弱じゃないですか。結婚生活としては幸せですか?
S: 結婚生活だけ見ると平準かな。
幸せの判断の範囲に入れるかどうかって言われると、不幸ではないけれど、
この人と居られてホント幸せ、みたいなことはないかな。
栗: ないない、そういう感覚は、自分も。
S: さっき栗岩さんが言っていた幸せそうに見えるよねって、言われることが、
あ、良かったって思うかな。充実しているっていうことだなって。
やるべきことは出来ているからってことなのかな、みたいな。
U: 幸せかどうかって言われる話しだと、面倒臭いことを考えなくても良い境遇に、
身を置いていることが出来ているかどうかっていうこともありますよね。
イヤな人間関係とか会社内での自分の関わり方もそうだと思いますけど。
S: 不幸というかネガティブな事柄を段々と切っていく技を覚えるよね。
イヤな景色を見ないようにする方法、みたいな。
F:Iさんはしがらみとかあるんですか?そういう公に従事する仕事をされているなかで。
I: 私は転職組なんですけど、以前に比べたら今は幸せな職場ですね。
自身と似た境遇の人が多いから、価値観のすり合わせとかもしやすいし。
似たような考え方でいられる人が多いので、やりやすいというか。
母数が大きいし、薄れるくらい人数が多いので、均一化されることは少ないですね。
U: Iさんのような職場を見たことがないので勝手な想像ですけど。
個人個人の力量というイメージがなくて、行政ありきというか、それを実現するためにする仕事、
なのかなって。
民間に比べると個性が出し難い、そういうイメージがありますね。
S: 予算を使いきる仕事と限られた予算のなかで利益を生む仕事の違いかな。
だから上役の人は予算をどれだけ多くとってくるかが能力が評価されて、
民間の場合は予算や経費を出来るだけ押さえて利益を生み出すかが評価される、
そういう根本的な部分で違うからね。
I: 自分を出せないイメージってありますか?
U: 出せないというか出すものではないという感じですかね。
栗: でも、Iさんが関わる仕事は個の力がわりと重要な職場ですよね?
I: そうですね、外部の人が関わるので、最近特にそういうことが増えてきていますね。
S: 部署とか担当する役割によって違いますよね、きっと。ルーティンが多いこともあるし。
私みたいな人間はルーティンが苦手だから無理だなって思うかな。
栗: 自分はまた親父を思い出しているんだけど…。
毎朝8時に家を出て、会社の鍵を開けて、仕事をしっかりして、
夕方6時には家で晩酌を始めるルーティンだったかな。
大相撲の時は30分早く帰ってきて上位の取り組みを見る、夏はニュースを見たあと巨人戦。
今、親父に訊いてみたいかな、あの頃幸せだった?って。
退職してしばらく経った今でも、6時には夕食、食卓には木綿豆腐と大根おろしがあって、みたいなね。
勤続55年とかで表彰され尊敬してはいるけど、今だから親父に訊いてみたいね。
U: 多分幸せだったんでしょうね、その時って。
S: そのルーティンが幸せな人もいるからね。
栗: 自分は真逆にいるけど結局良い影響を受けてるかな。木綿豆腐と大根おろし大好き、とかもね。
F: 私の両親はともに教育者で、特に父親は型にはまらない人でしたけど、私は逆にルーティンで。
だから、栗岩さんのお父さんは幸せだったんだろうな、って思いながら聞いていましたね。
S: 明日は休みだから、明日のことは朝に考えよう、みたいなことはないのかな?
F: オフの場合のルーティンはないんですけど、何せ、オフを楽しむことが苦手なタイプなので…。(苦笑)
(一同笑)
栗: 今、こうやって見ず知らずだった人が集まってこういう時間を持てていることが幸せなのかなって。
和やかに笑える時間を持てる幸せ、みたいなね。こういうことを考えたり、出来る人、
そういう人たちが世の中に何人いるかって話しじゃないのかな。国から与えられた権利ではなくてね。
U: ルーティンって話しですけど、引いて見てみると時間は定まってますけど、中身は毎日違うから、
ルーティンではないのかなって。ルーティンが幸せかどうかっていう考えとは少し違うのかな。
栗: 確かにそうだよね。大相撲の時は30分早く帰ってくること自体、それを楽しんでいたのかも。
でもね、ふと思うのは、昭和一桁生まれで激しい昭和を家族のために生きてきてさ。
死ぬ間際に訊きたいかな、幸せでしたかって。でも、あれか、長男が親不孝だからダメだ…。
逆に訊かれそうだね、お前は幸せなのか?って…。
お金と幸せの関係は?
栗: 収入って関係あるのかな。幸せとお金の関係って、どうなんだろう。
U: ある程度まではいるって思いますね。その人の楽しみ方にもよりますけど。
S: 例えば、この場に参加出来るお金がなければ、この時間が体験出来ないし。
こういうことに参加することが出来る余裕ぐらいは欲しいですよね。
U: こういう場にいるってことは他でもお金や時間を遣って体験したり経験したり、
そういうことがあったから今、ここにいるんですよね、きっと。
例えば、毎週でも隔週でもバーに行くとかって、まあまあなお金がかかりますよね。
そこに割ける余裕というか、やっぱり必要ですよね。
F: 収入ではなくて、裕福ではないけど感じる幸せとかもあるんですかね。
ごはんを食べられるだけで幸せなことと、たくさん色々な食事を出来る人たちにとってのごはん、
それって違いますよね。一杯のかけそば、みたいな話しもあったし。
栗: それって、幸せっていう言葉にするかどうかだよね。どちらかというと有り難さ、みたいな。
Fさんが言っていた一杯のかけそばの話しって、今食べられて良かった、有り難かったっていう話で
その先が見えないわけでしょ。汁の一滴まで分けあって飲み干したら、次があるかどうか、
それすらわからない訳でしょ。次はどうしよう、みたいな、絶望感もあるように思うし。
ってことは、それって幸せではないでしょって思うね。儚い喜び、みたいな感じかな。
U: 食べ終えたら消える幸せ、みたいな。
F: 深いですよね…。
栗: 深いっていうかさ、はじめに話した映画でウィル・スミス「幸せのかたち」みたいな話かな。
https://www.kuriiwastyle.com/blog/2023/06/20/100000
幸せって、資本経済を基にしているよね、今は。古代ギリシアの哲学や、座禅での教えのように、
考えることをやめることが幸せみたいな話しもあるし、考え出したらキリがないよね。
S: 答えがないことが哲学だったり、その答えにたどり着くまでが哲学だったり、ね。
栗: 幸せって、お金を基にするのか、人を基にするのか、一部の望みを基にするのか、
色々な幸せのカタチがあるのかなって。公開されたばかりで最近観た映画でも、
タイトルからは想像も出来ない幸せの答えを求められていることを強く感じたしね。
U: 最近、映画も含めてなんですけど、僕にとって新しい、未知のものを見ることに抵抗があって、
内容を理解していないと見ることが出来ないんですよね、本もそうですけど。
感情を揺り動かされるものに抵抗があるんですよ。今の自分は平穏を求めているというか…。
ただ娯楽として、自分の好きなものは手に入れたいし、手に入れる幸せはあって、
でも、そのためには、ある程度の財力がないとダメじゃないですか。
その満足の度合いによって必要な財力は左右されますけどね。
栗: 自分なんかは、どん底までいっちゃってるから、毎日が幸せかな。あ、ラーメン食べられた、みたいな。
有り難さはもちろんあるし、でももしかしたら、有り難さと幸せは違うのかもしれないね。
日本人的にはありがたいだけど、キリスト教国は幸せって感じなんだろうし。
日本人は、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、みたいな。