2023/06/16 17:17
生きる場所はひとつではない
U: 若干それるかもしれないですけど、酒場にいく時って、始めのうちはそこにいられるようになりたいっていうのが先にあったけれど、
慣れてくると、自分のテンション、遊びにいける、いけないみたいな気持ちにあわせて、判断するようになって。
休日だから遊びたいっていう気持ちがあるけれど、モヤモヤした何かがある時は人に会っても楽しくできないし、
良い時間になる確証がとれない時には部屋にいたりしますね。なんかその判断を思い出しますね。
T: 私も最近そう思えるようになったかな。
以前はその場にいないと取り残されるような強迫観念があって、
行かなくちゃ、みたいな気分で行っていたけど、
それって結局認めてもらいたいから行っていただけで、だいたいいいことにならなかったりするよね。
U: あと自分は遊びの予定は立てないですね。
よっぽどの用事じゃない限りは。その日の気分を大切にしていますね。
だから予定を立てたい友だちは少なくなったかな。今、どう?みたいな感じで付き合える人しかいないですね。
S: それって一人で動けることが前提にあるよね。必ず何人かで行動する人たちっているじゃないですか。つるまなければいられない、みたいな。今は私も認められる人としか行動しないし。自然にそうなっていったかな。
U: 相手もそういう傾向だと楽ですよね。お互いにわかりあえてるから。
S: 会社とか仕事上のお付き合い、義務的なものは果たしているけどね。イヤでも参加しなければならない集まりとか。
F: でもその義務的なことも果たしてきたからこそ、評価に関係ないところでつながっているというか、認められているんでしょうね。
F: みなさんに教えて欲しいんですけど。
認めてらっしゃる人はどんな方々ですか?尊敬とかもそうだと思うんですけど、どういう人なのかなって。
T: 自分のことを好きな人、とことん好きな人。自分が好きなモノや自分に対する探求心を持っている人。あと自分の尺度を持って行動出来る人も、かな。
F: 自分にはないものを持っているということもありますか?
T: それもありますね。そこへの憧れみたいなもの。自分にはないからね、探求することとかは。
まあ、ある意味、探求しすぎず視野を広く持つことも、編集者にとって大事だと思えるようになったけど。
S: 私は楽しそうに生きている人かな。年齢職業関係なく。楽しそうな人たちはアツいんですよね。
そこに共鳴すると尊敬しちゃうかな。もちろん、全部ではないけど。
T: ハチャメチャなところもあるからね。そういう人たちの中には。
あとは自分が他者によって生きていけているってわかっている人たちかな。
そういうところがわかっていないと自分が自分がってなっちゃうでしょ。
U: 自分がここに座っていられるのは栗岩さんが店をやる前に知り合って、それがなければここにいないわけで。たまたま紹介された集まりがきっかけで、
自分も他の人との関わりがあって今はこうしていられるんだって思いますね。
栗: あの当時は自分のことを認めていたかというと、そうでもなかったと思うね。少しの迷いがありながら、だったから。ただ、周りが認めてくれていたからあの会があった訳だし、今こうなってみると、ようやくだけど、自分を認められるようになったかな。この会もそうだし、メディアで発信もしているし。
そろそろ良いかなって思えた時にこの方向性というか、カタチになれたかな。気持ちも楽になったし。
Uさんに出会った頃は今みたいなカタチになりたいから迷いながらも進んでいたし、店を始めた時も、
少し早いかな、って考えたけど、最低10年間は積み上げていこうって思っていたかな。50才を過ぎた今、ようやくかな。
T: 自分で自分のカタチを作ること、自分ってどういう人間かなんて、永遠わからないだろうと思いますね。他者から思いがけず評価を受けたり、考えていたことを整理して言語化してもらった時に、「ああ、そういうことかも」ってわかるみたいなもので。そんな繰り返しで、自分が整理されていくことで、自信がついていくような気がする。とはいえやっぱり、でも死ぬまでわからないことのほうが多いけどね、何が正解かは。
S: 私も歳を重ねてきて楽になってきたかな、楽しいし。
T: それは認められたいって思わなくなってきたからだよね。期待されていることにはちゃんと応えたい、みたいな。
S: 自分から仕事を取りに行くようなことをしなくなったからかな。
栗: 野球でいうファインプレーだね。ファインプレーをするためにいかないで、結果的にそうなったという感じ。そもそもしようとしてするものじゃないからね。でも若い頃はしようとしていたかな。
自分がいる場所、いたい場所
栗: Wさんはもがいたりすることなんかなくて、達観している感じがするよね。
W: 野良猫のように生きている感じですね。
栗: そっか、野良猫って存在を認められているのか、自由気ままだけど、餌場や寝場所はあるし。
W: 自分はひとつの場所だと飽きちゃうんですよね。だから、ふらふら、自分が行きたいところに行って、
そこに何かしらのコミュニティがあって、そこに所属する、作るっていうか。
それすらないと全く孤独な人になっちゃうんですよ。
そういう意味では酒場はちょうど良い場所なんですよ。
基本的には利害関係がなくて唯一の共通点は酒を楽しむっていうこと。
そこにいろんな人が来て入れ替わって、そこでまた仲良くなって。ドライでもあるけど、心地好い場所なんですよ。
U: もしかしてWさんも約束しないタイプじゃない?
W: そうですね。約束するなら早く決めて、みたいな。いつまでもだらだらしているのは嫌ですね。自分から企画することはまずないですね。飲み会とかも。
学校の友だちともつるんだりしませんでしたね。ひとりで飲みに行って遊ぶことのほうが楽しかったし。好きだったんですよ。結果的に同世代の友だちがいなくなっちゃいましたけど…。
T: そういう場があるってわかると強いよね、若い時から。
栗: そこの愉しさに気づくのが早かったんだね。
T: 生きられる場所が一つしかないと思うと苦しいけど、本当はそうじゃなくて。
あちこちにあるんだって気づけると強いよね。
U: Wさんのこと早くてうらやましいっ思ったんですけど、ネットという場に楽しさを感じていたから、
カタチが違うだけであったんだなって、同じようなことをしていたんだなって、今思った。
自分も学校の友だちは皆無に等しいですね。多少気の合う人がいる程度だったからなぁ。
栗: Wさんとは酒場で数回しか会っていないけど、今こうしていてくれるし、酒場でもその存在が認められている感じがしてたよね。自分をわかって、そこにいるんだな、みたいな印象だったかな。
認め合う人間関係
T: 自分が好きな酒場って誰を連れていくかって悩まない?好きなところほど。
W: そうですね。まず、うるさい人はもってのほかだけど、静か過ぎてもつまらないし。
S: 回数とか場所とかはいろいろあるけれど、出会う人の数って多いけれど、
その場に一緒にいられる人って限られてくるよね。認め合って一緒にいられる人って少ないなって。
U: この集まりにしてもそうですよね。共有できないところがあったら来なくなるだろうし。
栗: そうそう、たしかに。お互い存在を認めてくれているから、この会があるんだなって。
T: 私もやっと最近分かってきましたね。存在を認め合う距離間ってなんだろうって。仕事柄、誰とでも仲良くするのが基本だったから、独立してからもその感覚が染み付いていて、距離間の測り方がわからなくなっていたんですよね。でも今では、相性や違和感も大事にできるようになってきましたね。無理のなさがある方が、仕事にしろ、プライベートにしろいい方向になるというか。
U: 仕事の場合、そこに目的があるからですよね。プライベートな場面では目的というものがないから、
ほど好い距離感を保つことが目的になるんじゃないかな。
T: 私はずっと仕事の頭で生きてきたようなものだからね。常に仕事の目で見ちゃうというか。
U: Tさんて、友だち100人とかいそうな感じに始めは思っていたけど、実際は結構絞っているんだなって思いますね。
S: 私もそんなに多くないかな。連絡だって密に取り合わないし、5年に一回とか。
U: そもそもこの場にいる人たちはそんなに多いタイプはいないんじゃないですかね。
連絡にしてもたくさんするほうが良いという世の風潮のなかで、しなくても通じる仲が友だちなんじゃないのかなって。
生きにくい人たちなのかもしれませんけどね。世の中的には。
F: 私は社会人になってからの友だちがいますけど、もう10年以上ですね。長いお付き合いの人が多いですね、数は少ないけど。
S: 良かった!今日はみんな友だちが多くなくて。だって友だちが多いことが自己肯定みたいな人もいるじゃないですか。
U: スケジュール表の空白を嫌う人、ですよね。それにしても、友だちって何だろうって思いますね。
栗: 連絡を取り合わなくても通じ会えて認め合う仲ってことなのかな。
T: 仕事だったり、趣味だったり家族だったり、それぞれの場がありながらも、その枠を越えて存在を確かめあって、認め合える仲が友だちなのかなって、最近は思いますね。
◎おわりに
栗: 今日はいろいろな方面に話が膨らんで、なかなか面白い会になりましたね。認められる大人って、
結局、その存在を確かめ、認め合うっていうことなのかなって。
そのためには、自分を認められないと他者を認めたり、認められたりさないよっていうことなのかなって思いますね。
T: そもそもこの会の始まりの時にきめたテーマが、社会に出たての若者が抱いた疑問から始まっているから。
学生から社会人一年生になって上司からあからさまな評価をされて、疑問を抱いて、自信がゆらいで。
どうしたら認められるんだろう、みたいなことから始まっているし。
栗: そりゃ迷うよね。コロナ禍でオンラインで研修で月に一度だけ会社に行って。いきなり配属されて。
よく知らない大人に文書で表されて。「認められる大人って何なんですかっ!」って、そりゃ思うよね。
S: ちゃんと生きているっていうことが認められる大人っていうことなのかな。
F: そうすることで周りにも伝わっていくっていうことですよね。
栗: そうそう、そう思うね。今日も良い一日だった、また明日、って思えるかどうかって大切なことじゃない?