2023/06/16 17:16

栗岩稔と人間学

第五回「認められる大人って何ですか?」

ここ数年のコロナ禍で社会人一年目を迎えた若者の疑問から決まったこのテーマ。

幼少期のことから、親子、友人、恋愛まで広がりを見せた今回、

社会という枠組みのなかで生きる大人たちに集まっていただきました。

 

―今回の参加者―

参加前から自身の答えを考えていたITコンサルティング会社勤務のUさん(以下U)

ベンチャーIT企業で多忙を極めるなか自身のことを振り返るようになったFさん(以下F)

大手ゼネコンから転身し個人で設計の仕事に携わるSさん(以下S)

司法試験突破に励む日々のなかで自分の時間を愛するWさん(以下W)

GOTTA STUDIO 主宰で編集者としてのキャリアを重ねてきたTさん(以下T)

 

 

栗岩稔(以下 栗): みなさん、今日はありがとうございます。

今回はみなさんの年代が上なので見方を変えていただいても良いかなと、思っていて、

例えば、子どもの頃、学生の頃、社会に出た頃、で今、みたいな。

そんないろいろな面から見ても面白い内容だなと思っています。

特に、Uさん、Fさんは組織のなかで認める側の立場にもなっていると思うので、そのあたりも聞かせてもらいたいな、と思っています。

 

「認められる」ことと「いてほしいと望まれること」

 

U: じゃあ、始めに。僕なりに考えてきた答えは「いて欲しいって望まれること」かな。

僕は今、3人~4人をみる立場になっているんですけど、助かることとそうでないことが色々あって、

僕自身もいて欲しいっ思われたり、思われなかったりという経験があるので、

仕事に限らずですけど、そう望まれることなのかなって思いますね。

自分がちょっとキツイ時に話を聞いてくれたりする友だちとかもいるじゃないですか。

そういう何かしら求めたり、役割だったりが、認められることなのかなって。

T: いて欲しいって、部下に対してはどんな時に思うのかな? 「仕事ができる」、とか?

U: できるできないとは違うかもしれないですね。気が利くというか、先回りして考えられるとか。

まあ、それが仕事ができるっていうことになるのかもしれないですけど。一方で頼みにくい人もいたりしますね。頼んでも結局やり直すことになったり。

栗: 入社したばかりの時は認められたい、求められる人になりたいって思った?

U: 前職の時からそういう具体的には考えていなかったと思いますね。

今話したことは、人をみる立場になってわかったことが多いですね。

: わからないもんね、入りたての頃には。人の上に立ってみないとね。

U: 会社の中での人事評価制度ってあるじゃないですが。

もっともらしいことばかり書いてはあるけど、どうしたらこうなるんだと。

実感できなかったし評価面談の場でもわからないことが多かったですね。

だから、最初は認められるとか、求められるとか全然わからなかったです。

T: 認められたい、認められたいって思っても認められるわけではないからね。

U: それって、どういうこと?って感じでしたね。

: 会社や組織の枠組みを外した時の存在ってあるじゃない? 自己主張とかではなくて、

認めてもらいたい、みたいな思いはあるのかな?

U: そうですね、まあ、あっただろうなとは思います。

話題の中心にいたい人っているじゃないですか。

僕は、あまりそういうタイプじゃないですが、

話しかけられたら少しうれしい、というところはありますよね。

 

人事評価ってイコール認められる、ってこと?

 

: 今の時代って良くも悪くもSNSの存在って大きいよね?

T: そもそも承認欲求っていう言葉が出てきたのもSNSの普及からですよね。

: いいね!の数で一喜一憂する人ってかなり多いのかな?

T: 多いみたいですけど、自分が承認されることが仕事の人、自分がコンテンツでメディアになっている人には必要ですよね。店主とかも。

それによって人が来るとか、収入を得るとか、決してそれがイコールではないですけど。

営業ツールとして考えるとそういう欲求は出てくるのかなとも思いますね。

: 自分の存在を認めてくれる人がいたから、

ここまで来られた感じがあるけど、若い頃にはどうだったのかなってふと思いますね。

U: どちらかというと認められたいより、反骨精神のかたまりみたいな人じゃないですか、栗岩さんて。

見返してやりたいっていう気持ちのほうか強い人なのかなって感じていましたね。

K: そうね。違和感に対してぶつかってきたことが、結果的に認めてもらえたのかもしれないですね。

会社組織のなかで人事評価する側の時もどこかに違和感を覚えいたしね。

U: 今の立場になってみると、人事評価ってだいぶ難しいと思いますね。

基準に従って評定をつけるんですけど、さじ加減というか、言語化、数値化出来ない部分があって。

文章にしづらい部分も結果ありきの文書にまとめて上を納得させるんですが、その作業が難しいことだなって。

F: 自分は三ヶ月に一度の人事評価があるんですけど、年四回の給与査定みたいな。それによって毎回変わるんですよ。

T: 気が休まらないね。

F: そうですね。仕事が営業なので具体的な営業成績を含めた数値目標に対して達成の評価を上が判断するんですよ。だからその認められるタイミングがとても多いかなと。

: でも、それって認められることと少し違わないかな?

W: そうですよね。基準を超えているかどうかって量的なことですよね。認めるってことはもっと質的なことだと思うんですけど。

: そうそう、だから取り違えたりすることもあるんじゃない?

F: たしかに、そうですね、量的なものの判断ですよね。

T: 編集者だと量的なものだけが評価の対象じゃなかったかな。年間何冊出版しました、みたいなことはあったけど。とはいえ質的なことの方を大事にしているかも。

S: 私の業界では、同じ立場でも量的な実績を求める人がいて、年間このぐらい仕事をして、みたいな。

私はそれが楽しいと思えないから、私の場合も質的な仕事、かな。

: Sさんは、以前は大企業にいたじゃないですか。

その時って、認められている人と会社に評価されている人って違うってことはありませんでした?

S: 違いますね。あまりにも大きい組織だと会社のためにで、認めてもらいたい人、

一方で、いることをうまく利用して自由にやりたい人、とか。いくつかのパターンがあったかな。

T: 大きな会社はひとつの尺度で計れないからね、蜂の家族みたいな。

働きバチがいて、怠け者バチがいて、だけど共存していないといけない、みたいな。

そういう色々な立場で認めあっているのかもしれないよね。

S: 組織の中で現場を運営するためにトップで走る人も必要だけど、

職人さんたちには人望があって、下支えしている人とかは会社でというより、人に認められているかな。

: それがWさんが言っていた量と質の話だよね。

T: 評価の話しだと、会社側から評価されないひとたちは辞めていく、みたいなことはないのかな?

U: これだけやってるのに、こんな評価?みたいな。

: そういうところを取り違える人が辞めていくんじゃないのかな。

S: 私が心掛けているのは、現場で働いている人たちが大事だなって思うから、関わりあう時は名前で呼ぶようにしていますね。

評価する立場ではないけれど、その存在を認めたうえで、一人一人と仕事をしている、という感じかな。

もちろん、指名したり選べたりするわけではないから、なおさらですが。

: 達成したか、しないか、ではないんだよね。認められるってことは。

F: たしかにおっしゃる通りですね。数字だけではない部分でも、認められたいって思いますね。

もちろん、数字は数字で追う必要もあるんですが。

U: 数字の問題って個人の頑張りだけでどうにかなるものでもないですよね。

その商品やサービスの内容だったり、戦略も重要だったり、現場の人間からすると、

それを個人の実績評価だけで判断されても困りますよね。

そこに違和感を覚えると転籍だったり転職だったりを考えたりするんじゃないですかね。


ー中編に続きますー