2023/05/24 17:01
今どきの結婚願望。
T: 今ものすごく増えているのが、結婚したくないっていう割合。
S: うちの子もそうかな。結婚の話しなんかそもそもしないし。
栗: それって今流れている情報に左右されているところも大きいんじゃないのかな。ネガティブなニュースに振り回されているだけかもしれないし。
YU: 将来やっていけないとか、そういうニュースですよね。
栗: 我々はまだ雇用機会均等法のギリギリの時代に働きだしたじゃないですか。全く均等じゃないというか。今はようやく均等になってきた感じだけど。収入面や働く環境とかが整ってきた今の結婚ってどうなのかなって。
S: 働いている女性が参加しているけど、家庭に入った人がいたら違う意見が聞けるのかな。
T: 本来、働く×働く、だから結婚しなくても良い、ではないのに、結婚したい割合が減っているというのが今の世の中なんだよね。ムードっていうか風潮っていうか、財力もあるから結婚しなくても良いっていう話し、そういうことではないじゃん!っていうことですよね。
YU: 実際に出生率が下がっている今、国として日本株式会社の経営者のみなさまは、結婚、出産をするように促しているけれど、我々市井のものには、そりゃ無理だよなって感じますよね。
T: 男女関係ではないところの結婚みたいな契約は必要だと思っていて、異性でも同性でもパートナーは必要だと思いますね。
それぞれの結婚のカタチとは?
F: 結婚というのは、目移りしないようにっていう縛りのイメージが強いですね。
T: あとは金銭的な問題、財産とか不動産みたいなものでしょ。
CK: そういえば戸籍って無くならないんですか。なんか親族との関係性が大変だなって。財産とかの話しではなくて、割りと面倒なことがあったりするじゃないですか。なんかそういう財産とか戸籍とかの縛りが無くなって、個人同士の関係になったら、
もっと結婚する人が増えるのかなって。
W: 戸籍と住民票は別々の扱いなので、無くても管理出来るようになっているんでしょうけど。
S: それでも日本株式会社としては無くさないんじゃないかな、管理したいために。
CU: そういう結婚の制度とかも変わっていったら変わるのかなって。
W: 夫婦同姓問題が足かせ結婚しないっていう人もいますからね。仕事上の通称、呼称は変えずにっていう人はいますけどね。
YU: 名前については、生まれた時にそのバランスで付けられているから、変わると違和感を覚えますね、きっと。仕事上ではメールアドレスとの相違で混乱したり。
T: 私の場合は会社を変える時のタイミングで結婚したので、新生自分、みたいに変えました。
Y: 結婚ってなんか、そういうきっかけになったりしますよね。
S: 私は結婚した時にしばらく専業主婦をしてたけど、向かないことに気づいたかな。
T: こういう言い方をしたら悪いのかもしれないけれど、結婚って実験だと思っていて。私に主婦が出来るのか? とか、お腹に子供がいるというのはどういうことなのか? とか。
Y: お腹の中の子供の画像には感動しかありませんでしたね。未体験ゾーンに入っていく感覚。僕は人生に一度は結婚というものをしてみたいと思っていたし、それを成し遂げた。それがまさに経験、体験ですね。
T: いざこざも含めて体験してみないとわからないし、それこそ、夫が家にいるっていうことは、違う生物が一緒にいるという体験だし、それがダメだった、っていうのも経験だし。
Y: バーテンダーの仕事では、子供がいる、いないがわかるんですよ。良い悪いではなくて。結婚という経験があるから、そういう感覚も持つことが出来たのかなって。面白いなって思いますよ。
T: 私の知人は養子縁組をして育てていますよ。それもまた経験。
S: 子供のことがなければ結婚っていうシステムはなくても良いのかなって。
W: 法律上では子供がいてもいなくても、結婚していなければ出来ないこともありますよ。
Y: そういう世の中のシステムがなければ、社会が回らないっていう面もありますからね。何もない時代から国をまとめるために、よく作り上げたと思いますよ、僕は。
栗: Fさんは最近遊んでるって言っていたけど、会ってみてどうなのかな。「この人かも」みたいな感覚はあった?
F: ひとりだけですね。「何かいいな」って思ったのは。だから連絡は取り合ってますね、今も。
Y: 少しだったらまだまだですね。飲み物、食べ物と同じで、出会ったその瞬間の感覚で決まるんですよ。
信じるのは直感ですね。
F: 知り合いに最近結婚した女性がいて、話しを聞いたんですけど、会った瞬間にこの人だなって思ったって言っていたんですよ。やっぱりそういうことはあるんだなって思いましたね。
Y: 結婚している女性のみなさんはどうなんですか、その時って。
CU: 私はこの人って思った経験はないかな。
Y: きっとわからないだけですよ、きっと。僕や栗岩さんみたいに本能的な人もいるわけだし、僕らはみんな違うんで、ふわっと受け止める人もいるし、ご主人と離れていても居心地が良いとか、そういうところなんじゃないですか。
T: 私もビビビッ、みたいなのはなかったかな。もしかしたら男性のほうが強いんじゃないかな。
栗: オスの本能的な部分、狩りの本能みたいな感じですかね。
YU: 僕は街中でこの人素敵だなって思う時がありますね。だからといって行動に移さないけど。
T: 私は頭で考えていたかもしれない。色々なお付き合いをしていた時は、この人のここが良いとか、議論が弾むとか、長い間考えていたんだけれど、結婚をした夫に対しては、楽だなって思ったかな。何も考えなくなったっていうか。そういう人に思えたから、だから子供が出来たし、縁があるんだろうなって。
それまでは結構頭で考えてた、条件とか学歴とかも。
栗: 自分は若い頃に政略結婚的に考えたことがあって。だいぶ無理をしたことがあったかな。生活環境や育ちの違うところへ無理に寄せたり、結局お互いにダメだったけど。このままいけたら土地持ちだな、みたいに考えてた。背伸びというか、無理してた。だからすごく疲れちゃったけど。
S: ニュートラルでいられるって大切ですよね。自分が頑張って相手にあわせたりすると長続きしないかな。
F: 自然体じゃないと、その先って厳しいものなんですね。
S: 相手のことを面白がれるくらいが良くて、受け入れられないとダメかもね。
Y: さっき相手に求めないっていう話があったけど、やっぱりどちらかが強く求めるとダメなんじゃないですかね。若い時は求めあってお互いを知ることになるんでしょうけど。長くはダメですよね。だから結婚している時は求めないほうが良いですよ。
T: 面倒臭いっていうのは、求められそうで面倒っていうのもあるのかもね。
YU: 結婚の話しが出たりしたら、それだけで面倒ですね。
栗:相性って、オスメスとして本能的に考えても必要ですよね?
K: 必要ですね。でもお互いに良い意味で諦めてるっていうか、求めていないっていうか。あ、こんなところもあるんだ、みたいなことを面白がってくれる心を持った人で、お互いに影響を受けたり、お互いの好奇心で動いていると楽しくなってきますね。
YU: そういう話を聞くと普通に良いなって思いますね。
T: 発見だよね、毎日が。
栗: 良いも悪いも発見の連続。
T: 知らないことだらけだし。
S: 今も夫のことはわからない。謎、たぶんずっと謎。
T: 別々の社会に生きているから、常に発見の連続。生物みたいに相性で出会って、バーン!みたいなことのほうが楽しそうだけどね、どうしたって人間は考える動物だから、この経験を面白がるしかないよね。
K: 年中行事とかで、背景の違う親族の人たちに会うじゃないですか。こんなおっちゃんがおったんや、みたいな。生物で言ったら同じ種別なのに、何でこんなに違うんだっていうあの感覚は面白いですね。その生活環境によっての違いに寛容になれるっていうか、役立ったりするし。
Y: 日本はそもそも年中行事の上に成り立っていることが多くて。まつりなんかもそうだと思うんですけどね。それが男女の交わりの行事だったりするし。それが現代になると煩わしさを感じる人もいるし、面倒臭いとか、他人は気にしないとか。もちろん全部がそうではないんですけど、大切なことだと思いますよ、昔からの行事って。
栗: 日本の場合は特に出産とか女性が穢れの対象だった時代があるし。男尊女卑が当たり前の時代も最近まであったりしたし、難しい問題だよね。民俗学的に見ていくと根深い何かがあって、子孫を残す、家を守るということだけを考えていたり。何が正しいのかはわからけれど、ホント難しいよね、考え出していくと。古い慣習や風習の話題は重くなっちゃうので。
S:ここまで話を聞いて、 Fさん、どうですか。結婚に前向きになりましたか。
F: 僕は元々前向きですよ、前のめりぐらいに。
T: Wさんは?
W: 変わらず、ですね。揺れ動くことも全くなく。
栗: YUさんは感覚的に合う人がいたらすぐだと思うな。ただ自分のスペースやスタンスが固まっているから相容れないだけで。良い距離感を保てる人がいたら良いかもね。
YU: ルームシェア的な考えもしたことはありますね。ただ、そんなことすら考えなくても済む人が現れたらすぐにでも、でしょうね。
S: 一年で数回しかあわない夫婦もいるしね。
CU: 今のカタチで良いか悪いかはわからないけれど、今は良い、かな。
Y: 固定された結婚という概念から外せば、とてもいいですよね。
YU: 古の結婚の概念を踏襲して提案するホテルやら式場があって、理想的なマイホームを提案する住宅会社があって、家族団欒のスペースのための家具の会社があって。あ、これ、否定するわけではないですよ。ただ、そういう、誰かが得をしようとして生み出されたものに背を向けたくてしょうがないところがある。そういうことを取り払っていくと、面倒臭さとか抵抗感が残って…。古くからある慣習や文化から外れることが出来れば、もう少し純粋に、パートナーとして一緒にいたいという部分が出てくるかもしれないですね。
栗: 自分は親の責任を終えた後の生活の面倒臭さがどこかにあって、将来、老い先夫婦でどう暮らしていこうか、みたいな。最近、別々で良いんじゃないかな、って自然に思えてきて。その概念というか一緒にいなければ、みたいな縛りを外せたかな。離婚するしないとかではなくて、お互いに生きる場所でいれば良いんじゃんって。
YU: 親の責任を果たした後は自由って生物に近い感じですね。
T: 確実に関係性は変わりますよね。生物的な身体のしくみも変わるし。
栗: それはきっと社会のシステムに則った上での責任じゃないのかな。自分は、お互いの親に対する責任を果たしたいから。あとは、公に夫婦として死に水を、みたいな感じかな。
S: 結婚したからには最期まで看取ろう、みたいな。
YU: 栗岩さんの場合はお互いの親への責任を果たしたら、また一緒に暮らすかもしれないっていうことですよね。
栗: そうそう、わりと自由に考えられるようになったからね、ようやく。社会のシステムに則るかそうじゃないか、それでその人の「結婚」のカタチが出来る、ということなのかな。