2023/05/23 10:00
映画「イージー・ライダー」を観た。
はじめて観た若い頃は、憧れていたアメリカって、
こんなものかな、と思い、
主人公の年齢を越えてからは見方が変わって考えを深め、
今、より一層考えを広く深く、様々な角度から観ることができて、
改めて時代の代表作だと思える。
アメリカン・ニュー・シネマと言われる、
ベトナム戦争当時の混迷するアメリカ社会を描く作品の中で、
1969年に発表された、馬をバイクに乗り換えた現代の
西部劇のように描かれるこの作品。
マリファナの密輸で稼いだ大金をアメリカを代表する名車
「ハーレー・デイヴィッドソン」のタンクに隠し、
自由と平和を求めて旅に出るワイアットとビリー。
ロサンゼルスから南部ニューオーリンズへ向かう気ままな旅。
道中に出会う、食事を振る舞ってくれる農家の人々、
当時のアメリカを象徴する、ヒッピーコミューンの人々。
中でも保守的、排他的な地域では、余所者の彼らを苦々しく見つめる。
そして、銃社会アメリカならではの理不尽と言われるラストシーン。
ドラッグカルチャー、ヒッピーコミューンなど、
若者と大人の構図で見れば、理解されることなく、
認められることの出来ない、その生き方を
受け入れてもらえないことは理不尽だと思うものの、
見方を変えれば、そもそもプロテスタントを中心とした、
堅牢なキリスト教の信者が多く暮らす南部地域では、
ヒンズー教やブードゥー教を規範にすると言われる、
ヒッピー、ドラッグのカルチャーは相容れることなど、
全くないと思うし。
超保守的で超排他的と超開放的な意識の対立と考えれば、
一言で理不尽とは言い切れないと思うし。
だけど、きっと、たぶん、超保守的だからこそ欲しかった「自由」。
そのために、銃を使って欲求を行動に移したのかな、などと…。
今でも報道で目にする銃乱射事件を起こす若年層がいるアメリカでは、
普遍的な社会問題として抱えていることなのだと思うし。
結局のところ、自由の国アメリカの名ばかりの自由の中で、
認めてくれない社会に生きる、認められたいけれど、
言葉に出来ない若者たちの行動、ということなのだと思うし。
何だかとても、冷静に観終わることが出来ている自分に驚き、
歳を重ねるって、こういうことなのかな、と思うし。
なかなか感慨深い映画鑑賞となった深夜の「イージー・ライダー」。
他所の国の話し、では全くなく、
アメリカの強い影響下にある日本でも、たくさんの問題がある訳で。
戦後は特に、経済はもちろん、文化を受け入れ模倣して…。
アメリカがくしゃみをすれば風邪を引く、などと言われ…。
個人的にもアメリカから影響を受けて生きてきた訳で。
若い頃、ニューヨーク・マンハッタンにいる自分に、
悦悦としていた自分がいた訳で。
今でもふと、ニューヨークに行きたいと思っていたり…。
「ハーレー・デイヴィッドソン」に乗れるものなら乗ってみたいと、
今でも思っていたり。
やっぱりデニムは501でしょ、と思っていたり…。
学生時代から社会に出た頃には、バイクを乗り回し、酒場に入り浸り…。
(ドラッグはやっていませんよ、はい。)
自由が何なのかも解らずに自由を求めていたような気がするし…。
大人社会に認めてもらいたくて、でも認めてもらえないことに、
イライラしていたような気がするし…。
そんな思いを巡らす午前2時。
ま、今は50代半ばだし、認められたいとか、そんなことではなく、
老い先の生きざまを考えることが、うれしく思えるし、
楽しくやってますよ、はい。
月末には、こんなおじさんを中心に「人間学」があるし。
→ https://www.kuriiwastyle.com/blog/2023/04/14/135445
楽しみな日々が続きますよ、はい。
そういえば、「イージー・ライダー」を観た翌日の酒場で、
同年代の女性と年長の男性が今でもハーレーを愛車にしていると聞いた。
そうそう、この世代でしょ、日本の中の「アメリカ」って。
と思いながら、様々な共通の話題に会話が弾んだ。
少しだけ認めてもらえたおじさんが得ることのできた縁、かな。
令和五年 心地好い五月の朝に寝不足が体に響く
おじさんの独り言
栗岩稔