2023/05/09 10:00
夏がはじまる。
東京に生きるようになってから感じる
夏のはじまり。
祭りがはじまる。
大きくは神田明神祭、
続いて浅草三社祭。
たくさんの人が集う
有名な祭りも好きなものの、
それぞれの地域の小さな神社の祭りが
良いと思う。
その町に生きてきた
町人の歴史の上に成り立っている、
高いビルの隙間に鎮座して
地域を守る小さな神社。
普段は存在すら気づかない人も
いるかもしれないけれど、
確かにそこにあって、
誰かが常日頃お世話していて、
この時節になると、
よりきれいになって、
華やいで、 明かりが灯り、
人が集い、賑わい。
周辺にある和菓子屋では
端午の節句には柏餅にちまき、
夏のはじまりの景色。
東京の街角で感じられる日本の夏のはじまり。
故郷の町に暮らしている時には
感じられなかった、
その雰囲気や音の風景。
多すぎる人が暮らす大都会で感じる、
夏のはじまりの風景。
長らく東京に生きてきた今、
改めて素敵だと思える。
天照大神が天岩戸で閉じこもり、
世の中を闇が支配したそのときに、
岩戸をなんとか開けさせようと、
その外側で踊り、唄い、囃し立て、
その音に気づいた天照大神が岩戸を開け、
世の中に光が戻り、人々を照らした。
神話の中の物語が起源といわれる祭り。
京都祇園祭が大衆文化に下りてきて、
それぞれの地域で執り行われ、
田植え前の時期に五穀豊穣を願い、
神様の乗り物とされる神輿を担ぎ、
息抜きと祈願の酒で人々が楽しむ。
とても良い風習だし、
人と酒の歴史的なその関係は
切っても切れないな、
そんなことを思いながら、
いつもの雑踏とは少し違う、
この時季の賑わいの東京、
何だか良いな、と。
この町にも人が暮らしているんだ。
地域の暮らしを形作っている人がいるんだ。
その真ん中にこの神社があるんだ。
大切な場所なんだと。
強すぎる五月の風に押されながら歩いていた時、
高すぎるビルの隙間で、ふと思い出した。
ニューヨーク・ハーレムで会った牧師。
麻薬中毒者救済のためにクワイヤを結成し、
ゴスペルで人々に教えを伝え、寄付を集い、
生活困窮者の救済活動をしている盲目の牧師。
彼が言っていた。
それぞれの地域にある教会を中心に
コミュニティがあって、
ボランティア活動に参加することで、
そのつながりを強め、
その活動をすることが
この街に生きている証なんだと。
教会も神社も、
ニューヨークも東京も、
同じ、だなと。
大きすぎる街で人とのつながりを感じられる祭り。
そこからはじまり、発展する人間関係。
先日の「栗岩稔と人間学」でも話題に出ていたな、
出会いから発展のためにも祭りを、と。
さあさあ、暑すぎるかもしれない東京の夏、
はじまり、はじまり。
令和五年 立夏を過ぎて、なおのこと徒然と
栗岩稔
追伸、それにしても沁みるなぁ、この曲…。
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