2023/04/14 13:59


栗岩稔と人間学 第三回 働かなきゃだめですか? 後編
何をして「働く」か。その取捨選択について。
Y: そういう感覚ってないですか?趣味でやってたことでも、目指す先で周りを見て諦めたっていうか。取捨選択した場面って。
W: 
取捨選択的なこどだと、僕は大学の専攻が法律ではなくて哲学だったんですよ。なんとなく大学に残って研究者としてやっていくのかなって思っていたんですよ。ただ卒業論文を書いている時に、このままの延長線上にいて、それ自体が仕事になっていくのかな、って。この先数十年先までこのままではしんどいなって思ったんですよ。
Y: 
先が想像出来ちゃったんだ、哲学の分野での自分が。
W: 
そうですね。目の前の教授たちや今の日本の現状、人文学のあり方みたいなものも含めて違うなって。そう思った瞬間からだめでしたね。その対案として考えたのが、小さい頃から漠然とした夢であった弁護士を目指そうかな、と。手に職を持ってプロフェッショナルとして生きていったほうが便利だな、稼げるし、みたいな。そこでロースクールに通い出したんです。自分にとっての取捨選択はそこですね。この先もどうなっていくかわからないですけど。
Y: 
良い職業ですよね。これからの時代も必要だと思うし、増えるだろうし。

勤労、労働、仕事ってなんだ?
E: 
今回たまたま見たテレビドラマで働くことに気づかされたんですよ。それが弁護士のドラマで。その中で、憲法第27条のすべての国民は勤労の権利を有し義務を負う、というのがあって、義務の前に権利を有するんだと、そこに気づかされて。
W: 
僕のロースクールの先生もそこは強調してましたね。権利義務の順番で、義務権利ではないと。権利を有しているから義務が発生するというところを強調してしてましたね。
E: 
安直ですけど、そのドラマで働くことを見直すきっかけになったんですよ。日本国内ではそう定められているんだなって。
K: 
働くということは権利なんだよね?法律上の勤労でも。
W: 
そうですね。冒頭でKさんが言っていましたけど、働くということでは、近代まで、江戸時代までは、身分と仕事が固定されていたわけですよね。世襲的な人生、やっていて当たり前の人生から、明治時代に名字を持たされて、自由も与えられて、選択肢がありますよって。そもそも与えられた自由って何だかな、とは思いますけど。そのあたりから生まれてきた言葉じゃないかと思うんですよ。働くとか、勤労、労働って。
Y: 
僕も調べてみたんですよ。労働って人が体を動かしたことに労りとして対価を雇い主からもらうわけですよね。言葉遊びみたいですけど、勤労とかも。要はお勤めですよね。答えがここにあるように思っていて。仕事もお勤めだなと思っていて。仕事をしだすと整うんですよ、いくらしんどくても、行きたくなくても。今って、勉強とか仕事ってやらされてくる感じがあって、昔の人はお金に余裕がないと勉強すら出来なかったでしょ。仕事も決まっていたし。現代では選択出来るからこそ、迷ったり、憂鬱になったり。不思議なことですけどね。でも紐解いていって遡ってみていくと、案外働くことって良いことかもしれないですね。
K: 
仕事という言葉ですけど、調べてみたんですよ。
もともと仕事の「仕」は「為」で、音の変化で「仕」、つまり「仕える」に変わったんですって。そもそもの「為事」は、「事を為す」。もう少し能動的な意味合いですよね。

さまざまな働き方
E: そういえば、今年発表された小学生のアンケートで、なりたい職業ランキングで男女ともに会社員だったそうです。テレワークが増えて家で働く姿が会社員という風に見えたことが大きな要素じゃないかって。働く姿が見えたことが魅力的に見えた、ということらしいですよ。価値観が変わってきたのかなって。
Y: 
会社員のほうが自由度が高いっていう考え方もあるらしいですね。ある程度守られていて、定時で終わって、その他に自分の時間が持てて。それ以上求めないっていうのが、20代の人たちの会社員の魅力らしいですよ。責任ある立場になりたくなくて、自由な立場でいられる自分でいることが会社員の定義になっているみたいですよ。
E: 
僕もそういうところがあるかもしれないですね、会社員としては。
Y: 
経営する側になって気付くこともありますし、やってみないとわからないこともありますよね。
K: 
自分も一通りやってみて、何が良いのかはわからないけれど、今が良いんじゃないかなって思える。生きていけるし、みたいな。経営側の時は人と向き合うことが大変だったかな。苦痛というか。大変でしたけど、なかなかな経験でしたよ。Fさんは、どうですか?
F: 
そうですね。ゆとりはないですけど。降り幅というか、働きすぎて色々な事柄を知ることが出来ていないですね。仕事ばかりしていて。さっき伺ったターニングポイントなんですけど、今11年目なんですね、同じベンチャー企業に勤めて。なかなか珍しいケースなんですよね、この業界では。だから新しい決断をされたYさんの話しを聞いて、自分にもそんな時が来るのかな、みたいに考えてみたり。
Y: 
そうですね。いつか来ますよ、きっと。 自分が修行時代からサイボーグみたいに働いていて、狂人みたいになったんですよ。でもその時期があるから今があるし、今支えてくれているお客さんも当時のつながりだし。今の悩みは、そのご縁をこれからどうしていくかなんですよ。過去との決別のような。苦しいですけど、楽しいですね、そんな今が。
K: 
これは経験値だけど、必ずまた会えると思うよ。縁のある人には会えるし、ない人には二度と会えないし。
Y: 
僕はそこにかけてみたいんですよ。この先の人の縁というものに。それが人生の醍醐味かなって思うんですよ。でもどこかで、今の状況と先の状況を比べてみて、揺らいでいたり。少し軸がぶれてきて、でもその揺らぎの幅が狭くなっていって、大きな軸になると思うんですよね。

他者への向き合いは拓くことでもある
F: はじめてお会いした時とカウンターの中にいる時のYさんの印象があまりにも違っていてびっくりしたんですよ。
Y: 
それは僕らにはわからないんですよ。常に人に向き合っているから、自分のことはわからないですね。
K: 
やっぱり人と向き合うことなんじゃないかな。
U: 
でも、あまり向き合いたくないこともありましたよね?
K: 
働き出した頃は対人恐怖症ぐらい苦手だったかな。斜に構えていたし、バーテンダーという仕事に悦悦としていたし、向き合ってなかったですね。ただ一杯の酒、私のアニキ分が作ってくれた酒ごあまりにも美味しくて、その時から変わったかな。
U: 
それで向き合うようになったんですか?
K: 
そうそう。あの酒を越えたいために、それに向き合って、働くことに対する考え方が変わったかな。それですべてがリセット出来た感じ。
Y: 
でもアパレルにもいましたよね。いつから苦手になったんですか?
K: 
あの頃も苦手だったけど、人というより売上として見ていた感じだったからね。売上予算ありきの接客。販売競争だったから、その人よりも一人あたりの売上を計算していた部分があったように思うね。全くおぼえてないしね、あの頃接客した人たちは。
Y: 
ポイントをどこに置くかですね、働くことの理由を。人にフォーカスするのか、お金なのか。そのバランスなんですよ。僕が今でやろうとしているのがそれで。まさにそこなんですけどね、なかなか共存出来ないんですよ。
K: 
自分は40才の独立した時かな。人がいなければ商いは始まらないという原点に還って人に向き合ってきたかな。今ももちろんそうだしね。働くという概念では、どこか吹っ切れて、金銭的なことは後からついてくるでしょ、みたいな。でもせめぎあいだよね、現実的には。
U: 
どこか吹っ切れた、というのはわかるような気がしますね。

 

○お金と仕事の関係
K: 今って、お金と仕事じゃない?生きるって。働かなきゃだめですか?という問いには、どちらにウェイトを置くかだよね。子供たちに投げ掛ける時って、だいたい将来何になりたいですかって、職業のことじゃないですか。
U: 
子供たちも職業のことを聞かれていると思っていますね。でもつい先日卒業した子供たちの総合学習で、仕事について調べるっていうのがあったんですよ。その中で、会社員ではなく働くことについて調べている子供がいて、会社員と比較してもまだ結論は出ていないということが書いてあったんですよ。他にも表に出る仕事、裏方の仕事について調べている子供がいたり、多様なまとめ方に興味を持ちましたね。将来どうなるであろうとも、考えて調べてみたところが素晴らしいなって。ちなみに裏方の仕事にバーテンダーも入っていましたよ。
Y: 
バーテンダーはまさに、裏方の仕事ですね。表に立ちたい人もいるけど、選択は自由なんでね。
K: 
自分は黒子でいたいと思っているかな、ずっと。その人の時間を預かって演出する仕事でしょ。狂言なんかの舞台も黒子がいなければ成り立たないし、作れないし。
Y: 
良い仕事ですよね、教師って。この先子供たちがどうなるかわからないにしても。そういえば、引退した中学の担任から第二の人生にバーを開きたいって連絡があって、相談されたんですよ。教えには行くんですけどね、その時に考えたんですよ。コーチング業としてか、恩師に対する御礼とするか。そこがまたせめぎあいで大事なポイントだったんですが。
F: 
私の両親は二人とも地元で教師をしていたんですよ。でも子供には教師になるのではなく社会に出てくれと、学校ではなく会社勤めをしてくれと言ってましたね。もっと揉まれたほうが良いと考えたんだと思いますよ。だから私は一切教師になることは考えなかったですね。
U: 
私は大学の時には教職につくなんて考えてもみなかったですね。ただ就職氷河期だったので、東京都の教員採用があったんですよ。私のずるいところが教員免許は取ってあったので。それで教員になったんですよね。本ばかり読んでいて社会のことは何も知らず、卒業したらパートして、結婚して子供を育てて、みたいな。あまり考えていなかったですね、働くことは。
F: 
将来のことを考えすぎて不安になったりすることもありますよね。でも不思議ですよね。好きだからしている仕事が良いわけでもないし、いやいややっていでも世の中の役に立つ仕事をしている人もいるわけだし。
Y: 
どのジャンルでも、好きだけじゃだめなんじゃないですかね。成立しないというか。陰と陽というか。否定的な見方が出来る人がいないと出来ないこともありますからね。大切だと思いますよ、好きも嫌いも。
W
さんはどうだったんですか?やりたかった仕事とか。
W: 
何となく弁護士だったんですよ。もうかりそうだったし。働くということについては、ふわふわと漂っている感じでしたね。
Y: 
良いですね、ふわふわとかって。そのほうが視野が広くなると思うんですよ。一点ばかり見ていると周りが見えなくなるというか。Eさんは職人だから一点を突き抜けてるところがありますよね。
E: 
でも僕はわりと俯瞰しているところがありますね。絶対に切り離せないですけど、オンとオフを分けてますね。小さい頃はトップをとりたいって思ってましたけど。
F: 
意外でしたね、わりと野心というか、トップを取りたいっていうところが。
E: 
これ作りたいというものでトップになりたいというものはあるので日々レベルアップはしていますね。

改めて、「働く」ってどういうこと?
W: 動くというところでは、今楽しいですね。知人の展示会の手伝いをしたりとか対価が発生するかしないか別にして。
E: 
お金とか関係してではなく、ボーっとしていられない人間なので働くことは必要ですね。
F: 
働いていたいと思いますね。人との関わりも含めて。
U: 
働かなくても生きていけるタイプだと思うんですね。お金のことは置いておいて自給自足的な生活をすれば良いんですけど。農業みたいな形で実際に生きていかなければいけないと思うし。
K: 
ヘンリー・D・ソローの森の生活っていう本があるじゃないですか。当時の世に問う実証実験の記録の本。あれは、日誌として自給自足の生活を記録したものを発表した結果、世に知らしめて対価が発生していくっていう。自給自足でも働いていることなんですよね。原点回帰しているものの、現代では難しいことなんじゃないかなって。
U: 
結局働いているんですよね。
Y: 
時間を費やしているんですよね、誰でも。僕らはどれだけ時間を費やしたかに対して対価が戻ってきていて、必ず時間というものが存在しているんですよね。時間の概念がない原住民族は別ですけどね。彼らの元にも毎日日雇い労働の斡旋をする車が来るらしいんですよ。でも彼らはその時の気分で決めるんですって。今日はどうする?みたいな相談をして。過去とか未来という時間軸の概念がないから。良いか悪いか別としてそんな生き方もあるんだなって。
W: 
今は人文学の中でも定住革命っていう考えがありますね。現代の人口や環境の問題を解決するような考えなんですけど、定住することによって。必要以上の資源を使い過ぎたり、余計な負担が増えたんじゃないかっていう考え方ですね。ただ、今から戻れって言われても無理ですけどね。
K: 
今日の1ドルと明日の10ドル、どちらを取るかっていう現代社会の生き方もあるよね
Y
:いろいろ考えていくと、生きていること自体働くことなのかなって思えるんですよ。細胞ひとつ動いていて何かしら影響を及ぼしているから生きていることが働くことなんだと。存在していることすら、そうかなって思いますね。


「栗岩稔と人間学」 information

<日程&テーマ>

開催時間:1月〜6月最終土曜日 各回とも13:0015:00

参加費:¥3,000(美味しい珈琲付き)

場所:GOTTA STUDIO KUDANSHITA

東京都千代田区九段南2-2-8松岡九段ビル201

 

第四回 429日(土) 

結婚って必要ですか?

 

第五回 527日(土) 

認められる大人ってなんですか?

 

第六回 624日(土) 

幸せってなんですか?

 

※老若男女問わず、人数に上限は定めませんが、参加申し込みのお問い合わせは

mineosha@icloud.com(竹田)までお願いします。