2023/03/14 10:00
世の中は卒業式シーズンを迎える。
この時期になると、ふと思い出す楽曲がある。
2才年上のアニキ的な存在だった尾崎豊の「卒業」。
「行儀良く真面目なんて出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊して回った
逆らい続け あがき続けた
早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許し合い いったい何 解り合えただろう
うんざりしながら それでも過ごした
この支配からの卒業」
この歌詞を教科書やノートに書き連ねていた。
おかけで、書いている今も空で書くことが出来る。
不良、非行、校内暴力、そんな時代の風潮だった。
実際に先輩たちのそんな姿を目にしながら、
どこかで冷めた見方をしながら傍観していた。
やり場のない、鬱々とした、そんな日々だった。
同時期のテレビドラマシリーズ「3年B組金八先生」。
その中で最も鮮明に覚えているシーンがある。
クラスの中で教師達から「不良」扱いされるマサル。
彼とその仲間が放送室を占拠して始める校内放送。
絞り出された象徴的な言葉「腐ったみかん」、
背景に流れる中島みゆきの「世情」。
様々な局面に真正面から向き合う担任教師坂本金八。
卒業式の日に彼が卒業式を前に贈った言葉、
「人という字は寄り添い支え合う姿を表した漢字云々」。
あれ以来、言葉の重みと
文字の成り立ちに興味を持ち、
今の今まで尽きることがない。
たかが歌謡曲、テレビドラマだろ、と言われようが、
間違いなく大きな影響を受けている。
そんな私の卒業式。
残念ながら、小学校、中学校のことは記憶にない。
方や、高校の卒業式当日のことは鮮明に覚えている。
式典終了後に玄関前の広場に集まる卒業生。
それに群がる後輩達から渡される花束やプレゼント。
記念写真に笑顔と涙で収まる卒業生。
深々と教師達に頭を垂れる卒業生。
そんな光景を尻目に一歩も立ち止まることなく、
城跡の二の丸門だった立派過ぎる正門を抜ける。
向かう先は世話になった大人達へのお礼参り。
初めに向かうは、珈琲専門店のマスター。
一杯の美味しい珈琲を頂きながらの卒業報告。
ようやく肩の力が抜けて、次に向かう先は、
開店間もない、炭に火が入ったばかりの焼き鳥屋。
あいさつとともに乾杯の生ビール。
次にいただく名物ウーロンハイと祝いの大盛焼き鳥。
煤けた時計で時間を確認して次のお礼に赴く。
路地裏の静かな灯りに安心して奥に進み扉を開ける。
笑顔で迎え入れてくれるマスターと店のオーナー女性。
その日に限り、キティではなくシャンディーガフ。
止まり木に集う大人達にも言葉をもらい一日を終える。
これが私の卒業式。
「行儀良く真面目なんて出来やしなかった」
「腐ったみかん」が始めた社会人生。
同級会に呼ばれることもなく名簿すら見た記憶がない。
あの同級生たちは、どうしているのかと今さら思う。
あの時から40年近く経った今、ようやくそう思う。
卒業と言うけれど、こんなことを考えている時点で、
そもそも卒業なんて出来ていないのかしら…
などと、そんなことを思い出させる、
残り15回の桜が始まる。
令和五年 少し苦手で恥ずかしい春爛漫を前に
栗岩稔