2023/02/24 22:58

栗岩稔と人間学

〜第一回〜

歳を重ねるって面白いですか?

 

これからを生きる世代の言葉に向き合うことは、

先を生きる世代にも来し方行く末を考える時間となる。

 

なんとなくわかった気になって、

立ち止まって考えたこともない疑問のあれこれ。

さあ、皆さんならどう答えますか?

 

「今」立ち止まり、「これから」の歩みのための語りの場を

世代を超えてつくり、拓く「栗岩稔と人間学」。

文筆家の卵、若干23歳の下川晴をファシリテーターに始めます。

 

第一回目のテーマは

「年を重ねるって面白いですか」?

 

栗岩稔が淹れるコーヒーを片手に、議論の幕が開く…。

 

ファシリテーター

下川晴[ペンネーム:松下露伴(仮)] プロフィール

1999年、東京生まれ、小金井育ち。大学在学中、フリーライターの父の影響から雑誌媒体で記事を掲載。2022年大手IT企業入社後、9ヶ月で退職。小説家志望、駆け出しの人間。

 

―今回の参加者―

Eさん…20代後半、チョコレートを愛する精密機器の修理屋さん。

Fさん…30代後半、ITのベンチャー企業で活躍。キレのいい関西弁の使い手。

Yさん…40代前半。高知節炸裂の、お喋り上手なバーテンダー。

Sさん…20代前半。福祉業界に務めながら、小説を執筆。

 

歳を重ねるって面白いですか?

 

栗:いよいよ「栗岩稔と人間学」の本番が始まります。1回目のテーマ、「歳を重ねるって面白いですか?」。今日は、20代、30代、40代、50代と異なる世代が揃っているので、面白い会になるのではないかと楽しみにしています。

 

下:ファシリテーターを務める下川です。僕は、社会人一年目の年ですが、昨年末に務めていた企業を退職して、これからは小説家を志望して活動していこうとしています、よろしくお願いします。

 

下:さて、本日のテーマ「歳を重ねるって面白いですか?」ですが、このテーマにした理由は2つあります。1つは、僕が会社に務めていた時に、あまり楽しそうに生きている人を見なかった、ということ。2つ目は、「若いうちはなんでもできるからね」という、よくある大人の言葉に違和感を覚えたということ。そうではなく、若造のお前らは何もできない小童なんだぞと、若さを儚い思い出のように語るのではなく、どこまでも生き切る、そんな大きな背中を見たい、というのが僕の個人的な期待でもあるのですが……。そんな中で、今日は、皆さんにとって歳を重ねるとはどういうことなのか、そして、歳を重ねることは楽しいのか、苦しいのか、辛いのか、皆さんのお話をお聞きしたいと思っています。

 

Y:僕は今43歳で、バーテンダーの仕事をしています。22歳で高知県から出てきて、20代は日本で一番厳しいと言われているお店で修行をして、そこから自分の店を持ち今に至ります。バーテンダーの仕事をしていると、いろんな世代がお店にやってくるわけです。僕のお店で働いている19歳のアルバイトの子がいるのですが、年配のお客さんたちが、まさに、「若いのはいいよね」というようなことをおっしゃるのをよく見かけます。その時に僕はお客さんに、敢えて、「今、幸せでしょう? 二十歳に戻りたいんですか?」と聞くんです。するとお客さんは、ふと振り返りながら、「やりたいことはやったかな」、というようなことをおっしゃることが多い。日本人って、若い子がいると、決して本心で思っていなくとも、そういう決まり文句的なことを言いたがる、ということはあるかもしれません。

 

下:僕自身も、決まり文句的な言葉のやり取りの中で、自分よりも歳を重ねている方たちの背景や想いを想像できていなかったかもしれませんね…。

 

Y:現代社会では、みんな、日常に追われすぎて、なかなか過去を振り返る時間がない。そこで僕はカウンターに立ちながら、お客さんに向かって、「今こうしてバーで飲んで、楽しいでしょう?」と、少し誘導してあげるんですね。そうすると、自然に振り返る時間を与えられる、バーはそういう場所でもあるんです。下川さんの言うように、大人と若者の間では、確かに決まり文句的なやりとりが行われている。けれども、何かふと、過去を振り返ったり、その先の未来を見ることができるきっかけとしての言葉も、異なる世代間での会話には重要になってくるかもしれない。

 

下:みなさんも、おそらく、歳を重ねるということに関して、自分で振り返ることはあまり多くないのではないかと思います。そこで、敢えて、過去を振り返ってみて、各々のターニングポイント、のような出来事や時間があればお聞きしたいです。

 

F:僕は今、ITのベンチャー企業に勤めていて、39歳です。今年40代の枠に入っていくというところで、ちょうど自分としても、40代をどう過ごそうかと考えていたところではあるので、過去を振り返る、いいきっかけになる予感がしていますね。ターニングポイントですか…、自分は2つあります。20歳と29歳で、20代に入る時と、30代に入る時。1つ目は、大学時代の観光人力車のアルバイトの経験。31日フルで出勤し、みんなでお客さんを盛り上げていくという雰囲気が肌にあっていたんですね。それがきっかけで、ベンチャー企業で働きたいと思うようになったんですね。それまでは、大学の経済学部でずっと経済を学んでいたので、そのまま銀行に就職するのかな、と漠然と思っていたのですが、観光人力車の経験で考え方が変わりベンチャー企業へ。2つ目は29歳のとき。30代を目前に、このまま仕事を優先に働き続けるのか、少し落ち着いて、人間として真っ当な生き方をするのか、と考えたのがターニングポイント。結論、「もっと働こう」と思い、当時400人の会社を辞めて、5人のベンチャー企業に転職しました。30代前半は、自分にとって修行のような日々でほぼ寝ていなかったですね。でも、そういう働き方が好きだから何も後悔はしていません。自分にとっては、どうやって歳を重ねていくかと考えた時に、“仕事”が密接に関わっているんです。今でも失敗はたくさんあって、喜びもあって、という軍曹劇のような日々を過ごしていますが、そこに一喜一憂するのが自分は楽しい。例えると、毎日、文化祭前夜みたいな生き方をしています。これが楽しいので、このまま歳を重ねていくのではないかなと思います。

 

下:肉体的な苦痛はもちろんあったと思うのですが、辛くないですか?

 

F:会社として、目指しているものが明確にある。個人というよりかは、みんなで会社を大きくしていくということが楽しかった。何かお客様に提案する資料を作る時でも、社長含めて従業員みんなで、大会議室みたいなところに集まって、資料を机いっぱいに並べて、まるで家族のようにみんなで、ああだこうだ、と夜通し議論する。そういうのが自分は楽しくて、好きなんです。歳を重ねることにおいて、明確には描けていないですけれども、ぼんやり、と目標は常に持ちたいなと思っています。

 

Y:ぼんやり。いいですね。何か事を起こす時に、明確な目標がないといけないというのがアメリカ式だと思う。僕はそれが肌に合わなかった。ぼんやり、けれども、なんとなくこうなりたいと思っている方が、遊びがあって幅が生まれる。何かを明確に決めると、そこに向かって進む時に、それしかないから身を削ることができるけれども、本当にそれが自分の求めていたものかどうかは、実はわからない。

 

E:ぼんやり、という言葉についてですが、自分も一つの分野にずっと携わっていて、色々と考えることがある中で、秋元康さんが、「根拠は持つな」と言っているのを聞いたことがあります。根拠が崩れた瞬間に、全てが崩れ去る可能性もあるから、下手な根拠は持たない方がいいと。

 

下:Eさんのターニングポイントも聞かせてください。

 

E:僕は今29歳で、30代に差しかかろうとしているところです。仕事としては、群馬から上京して約10年間、精密機器の職人をしています。精密機器の職人という仕事に出会ったのが中学生の時です。僕の今の原点。ターニングポイントは、社会に出てみてからですね。その精密機器に関して、部品の詳細な部分とか、値段とか、実際に物と対峙することで現実を理解し始めた。僕はこの現実を知れたことで、逆に考えが膨らみました。ある製品において、修理や新しいアイデアに苦戦していることがあったとしても、一つ改善方法を見つけ出すことができれば、ガラッと新しい方向に舵を切らせることもできる。その現実を知る前の自分の想像の範囲では、精密機器に関しても、「複雑なものが一番だ!」と思っていたけれども、実際に物を見てみると、シンプルだけれどもこんなに凄い技術が使われている、とか。僕も、先ほどの、ぼんやりという言葉の曖昧さは、固定観念や先入観に縛られすぎないという意味で、自分の体験からしても無意識に大切にしていたかもしれないです。

 

Y:自分のターニングポイントとして1つあげられるのは、31歳のとき。23歳でバーテンダーの修行に入って、8年目。8年目の壁というのがあるんですよ。みなさんもお仕事されているからわかると思いますが、半年、1年、3年、5年と、一般的に言われるような区切りがありますよね。僕の感覚で言うと、その次が8年なんです。僕の先輩たちが、みなさん8年目で辞めて、10年を超えられないところを直で見ていた。自分も8年目になった時に、例えば、師匠の話をぜんぶ受け入れられない、やっていられない、というような変わり目がきた。その時に、僕の師匠の師匠、僕からすると大師匠のような存在の人が店にきたことがあって。その方が、「とりあえず10年だよ、10年からだからね」と言ってくださったことが、もう一踏ん張りする力をくれたんです。だから、すごく苦しかったけれども、それを超えたらすーっとまた、進んでいくという経験をしました。

 

下:一度大きな苦しみを超えた先には…。

 

Y:苦しみが一度であればいいのですが、そうもいかないんですよね。もう1つは、ついこの前の42歳の時。自分の進んできた道において、世の中からの大きな評価を受けたり、振り切って突き進んだ先で、燃え尽き症候群の精神状態になり、パラレルワールドのような世界に入ってしまった。だから、歳を重ねることは、楽しいし、苦しい、ということを一気に経験したんです。でもそれって、分からない人もいる。僕らは社会から多量の情報を刷り込みされて生きていることが多いので、そういうものに寄りかかっていると見えてこない。けれども、自分が何者かになりたくて、歳を重ねてその何者かになった後に、どこか違うよな、という自分固有の大きな壁にぶつかることができると、ちょっと苦しいけれども、その先には楽しいことがある、と僕は身をもって経験しました。こういう経験は、一度とは限らないですから、そこも楽しみのひとつじゃないですかね。

 

栗:自分は、30歳の時に燃え尽きたよ。鞄の仕事でトップの成績をとって、有名ブランドからオファーが来たときに、聞こえがいいように言うと、断ったんだけれども、完全に燃え尽き症候群だった。10年後の自分が怖かった、多分のたれ死んでいるんだろうな、ニューヨークで、と思っていた。だったら、地に足つけて、手に職つけて生きようと思って選んだのが、バーテンダーだった。自分は、その時30kgくらい痩せたんですよ。毎晩働いて、死ぬほど働いて、ガンガン酒を飲んで、というような生活をずっとしていたんだよね。そうじゃないと保てなかった、というのが30歳。

 

Y:栗岩さんのように、はやい時期だと、まだ生き残れる可能性があるんですよ。僕も、20代、30代に修行が恐ろしい店で働いたので、生き残ることができた。でも、歳を重ねてから、30歳の時の栗岩さんのように、飲んで、無理をして、という状態になっている人も身近にいますよ。

 

栗:もしかすると、定年を迎えたサラリーマンとかは、そういう人が多いかもしれない。仕事をやりきって、定年を迎えたんだけれども、自分はどこにいたらいいんだろう、朝起きて何をすればいいんだろう、みたいな。そういう人は多いかも、しれないよね。


ー続きますー