2023/01/22 10:15


二十四節気は、人間が失いつつある

「感覚」を取り戻す手がかり

 

F:昔と今の話でいうと、それが失われてはいけないものもあると思いますよね。よく栗岩さんと話しているのが、二十四節気。何かしらの理由で昔の人は二十四の季節に分けて、季節の良さを感じたりとか、心の豊かさを育んできたけれども、今の人はほとんどないように感じますよね。人間らしさというか、季節の野菜、季節の料理を食べるとかね、今は意識している人はほとんどいないだろうなって思いますよね。

 

U:でも、そこは現代において意識するのは難しくない?とは僕は思うんですよね。だって、自分の生活と結びついてないから。稲作信仰っていう言葉がありましたけど、今はその環境で生きていないから、それを感じるのは難しい。逆に、懐古主義的な考えに縛られるのもよくはないと思うので、「ああ寒くなってきたな」とか、ものすごくラフな外界からの刺激をもとに僕は生きています。二十四節気って聞いても、いや、今はそうじゃないじゃんって。昔の暦的にはそうだったかもしれないけど、だから、現代版がいるんじゃないの?って思いますね。

 

栗:二十四節気を大事にしているのは、別に懐古主義とかっていうわけじゃなくて、意識したらもっと美しいんじゃない?という提案。自分が常に思っている、唯一、世界の人類に共通の“時間”という軸を一回外れて見ようよ、と。

 

T:結局、人間は理性、頭のほうが発達してしまって、繊細な感覚が鈍っているのかも。寒いとか、暑いとかぐらいは感じたとしても、寒さの中にも、空の色にも、雲の形にもグラデーションがあることを、感じなくなっている。二十四節気や七十二候といった外界の見方を教えてもらうと、とたんに感覚のスイッチが入ると思うんです。例えば、道端を歩いているときに、二十四節気にもとづいた花の見方を教えられると、そこに視覚が働き出して、道の歩き方が変わったりする。そんなヒントを与える力が、二十四節気や七十二候にはあると思うんです。

 

F:あとは、生活にどれだけ必要かっていうこともですよね。例えば、イヌイットとかは、雪の概念の粒度がすごく細かいらしいんですよね。あれって、普段の生活で、かなり死活問題になるから、雪の表現を細かくしないといけないみたいな。

 

T:日本でも山形とか、雪国のほうに行くと、空の色とか、山の上にどれくらい雪が積もっているとか、鳥が飛んできたとか、農耕とかやっている人たちには測りがいっぱいあるんだよね。都会に住んでいるとなかなか難しいんだけど、そういうスイッチを持っておくということは、感覚を錆びさせないために、何かしらあったほうがいいよね。

 

栗:あと、捉え間違えてしまうのは、年中行事と二十四節気をイコールで考えてしまう人がいること。年中行事はまあ、時代によって変えていったらいいんじゃない?とは思うんだけどね。年賀状ってどうよって自分も思うし。

 

T:何をもってご挨拶にするか。来年よろしくとも言いたいし、良いお年をとも言いたい。でもそれは、習慣だからというよりも、もっと心の問題で。その方法はいろいろあるよね、年賀状でもいいし、メールでも、ラインでも私はいいと思っている。その心の部分が、なるべく錆びないようにするにはどうすればいいんだっけねっていうのは思ったりする。「おぎゃあ」って生まれた時は感覚が鋭いのに、大人になるほど、削がれていってしまうから。そこの、「おぎゃあ」の時の感覚を、ちょっとでも持ってしまっている大人が好きだな。


ー続きますー


「栗岩稔と人間学」 information

<日程&テーマ>

開催時間:1月〜6月最終土曜日 各回とも13:0015:00

参加費:¥3,000(美味しい珈琲付き)

場所:GOTTA STUDIO KUDANSHITA

東京都千代田区九段南2-2-8松岡九段ビル201

 

第一回 128日(土)

歳を重ねるって面白いですか?

 

第二回 225日(土)

人生に過去問は必要ですか?

 

第三回 325日(土) 

働かなきゃだめですか?

 

第四回 429日(土) 

結婚って必要ですか?

 

第五回 527日(土) 

認められる大人ってなんですか?

 

第六回 624日(土) 

幸せってなんですか?

 

※老若男女問わず、人数に上限は定めませんが、参加申し込みのお問い合わせは

mineosha@icloud.com(竹田)までお願いします。