2023/01/17 10:00
ある日の酒場にて。
「ちょっと人生相談ていうか、話しを聞いてもらいたくて」
関西弁混じりのいつもの丁寧な口調で話し始める。
阪神淡路大震災の翌年の神戸に生まれた彼は、
30才を目前にして新たなステージに踏み出したい、とのこと。
企業勤めをしながら、着実に「人間力」を向上してきた彼。
そう思うのは、当然かな、と思う。
自身のあの頃を思い出し、比べてみてもそう思える。
先を見据えて、前向きに考えながらも思い悩み、
ようやく一歩踏み出した時期だった。
当時は、会社とブランドの看板を背負い忙しく働いていた。
つもりだった。
日本全国はもとより、米国内も飛び回りながら過ごす日々。
息抜きの酒場で過ごす時間を割きながら……。
関西地区を拠点とする老舗百貨店も担当のひとつだった。
28年前の今日、震災の前日も神戸にいた。
まだ何も起こっていない神戸の街で、わずかな時間を楽しんだ。
深夜に帰京した翌朝の報道に言葉を失くし、身震いし、
悲しみに包まれながらも、人生の分岐点を強く感じたあの日。
その翌年に生まれた彼は、
長年世話になっている先輩に相談がてら訪れた会食の場で
新しい事業の話しを提案されたとのこと。
前向きに、心を決めた様子が窺える話しぶりに、
否定することなく、肯定することなく、
その気持ちを大切に話しを聞いた。
瞬く間に景色が変わったあの街に訪れた半年後、
波打つ道路を歩き、ブルーシートの屋根を目にして、
儚きことを感じ、前向きに生きることを感じ、
かえって、一歩踏み出す勇気をもらえたあの頃。
今の自分の基礎となっているバーテンダーという仕事を選び、
その道を一歩踏み出すことを決めたあの頃。
長年通い詰めていたバーのマスターに相談をしたあの夜。
その場で共に働くよう誘ってくれたあの夜。
迷うことなく、その場で決心出来たあの夜。
そんな日々があったから、
今はカウンターの内側で、話しを聞くことが出来るようになった。
「人間学」なる会もそこから生まれたものだ。
https://www.kuriiwastyle.com/blog/2022/11/15/100000
あの頃からは想像すら出来なかった今。
たくさんの分岐点を通過して、少しずつ、一歩ずつ、
歳を重ねてきた。
分岐点、そういうものはいたるところにあって、
それを掴むか、掴み損ねるか、それもまた、
その人の運というか縁なのではないか、と思える。
30才を目前に生きる、新たな道を進むあなたへ。
大丈夫、きっと出来るはず。
一歩踏み出さない後悔よりも、
良くも悪くも踏み出した結果が大切だと思います。
そうやって一歩一歩、歳を重ねていけば、
いつの日にか素敵な人になっているはずです。
だから、一歩踏み出す勇気を持って楽しんでください。
私も学び、歩き続けながら、最後のステージに向かいます。
また、酒場で会いましょう。
でも、時は儚いものです。
くれぐれも、大切に。
令和五年 あの日から28年を数える今日
栗岩稔
追伸、やっぱり酒場は良い場所です。
酔い場所にはならないように、くれぐれも。