2022/10/25 10:00
歴史が好きだ。というよりも好きになれた。
学生の頃は学び方がわからず、ただ丸暗記するだけだった。
丸暗記したものは消えていくものだし、
日本史の漢字に混乱して、世界史のカタカナに混乱した。
全く理解できていなかった。
あまりにも解らないので
日本史と世界史の年表を貼り合わせた。
(教科書を破りました、はい、すみません…。)
年代を揃えて貼った年表に何か答えが見つかった。
同年代の世界と日本がとても解りやすく対比できた。
日本とそれ以外ではなく、
世界の中の日本という立場が理解できた。
私自身が明治維新から100年後に生まれたことから、
江戸末期から明治、大正、昭和の100年を特に学んだ。
現代史に大きな影響を及ぼしていると感じていたからなおのこと、
人や町や衣食住に至るまで、あらゆることに関して学んだ。
特に、司馬遼太郎の小説に学んだが、
俗にいう「司馬史観」に陥っている自分に気付き目線を変えた。
江戸から今に至るまで
半藤一利の著書を読んで違う目線を得られた。
日本ではない国の人々から見た日本国内への目線は、
ブルーノ・タウト、ドナルド・キーンから学んだ。
もちろん足りないことばかりであることも解っているので、
未だに、読み起こし、読み返し、
学び直し、学んでいる。
学校の授業では省略しがちな現代史を中心に
世界と日本双方から。
今の世界情勢を自分なりに理解するためにも。
仕事で海外に行くことが増えた頃からより一層と、
世界の国々の中の日本が解りやすく、アジア人を意識した。
ただ、日本人という国籍上の事実は変わるわけもなく、
日本人として今まで何があったのかということについて学んだ。
勝者の歴史だけでなく敗者や多方面からの歴史から学んだ。
ようやく、どこかで、何となく、
人間は同じことを繰り返す、
ということを先人たちから学んだ。
仕事や生活に関することも歴史から興味を深めた。
アメリカ製ビジネスバッグのブランドに携わっていた頃、
鞄という漢字を考案した150年以上続く銀座老舗鞄店店主が、
米国から来日したダレス長官の書類鞄、ブリーフバッグを見て、
「ダレスバッグ」と名付けたことを学び、大きな仕事に結び付いた。
酒の道で生きていくと決めた時、
人は衣服というものを布切れに近い形で身に付けていた時代から、
儀礼的に酒を飲んでいたという歴史から確信した。
「人は何があっても酒は飲むし、失くなることはない」と。
生まれながらの蕎麦好き、米好きだったから調べてみた。
諸説あるものの、鋳造された貨幣が経済の中心になる遥か前、
貨幣のように流通していた貝を採るために大陸から流れて来た人々が、
彼らが持ち込んだ籾種が人と気候とともに今の日本国内に広まって、
稲作信仰とともに、収穫を祝うハレの日の酒が根付いた。
と唱える柳田国男の民俗学に感銘を覚えて学んだ。
当然のように南方熊楠も学び、自然と信仰と生活に興味を覚えた。
未だに学びたいこと、学ばなければいけないことは尽きないものの、
栗岩稔的言動はもちろん酒場から、たくさん学んだ。
歴史上の先人たちたけでなく、年長者からだけでなく、
老若男女すべての人と、今目の前で相対しているモノから、
今でもたくさん、たくさん学んでいる。
たくさんの学びを与えてくれたオヤジが言っていた。
「栗岩君ね、人生死ぬまで勉強ですよ、勉強」
令和四年 十月に想うことのまとめ。まとまっていないけど…。