2022/10/18 10:00
「ジョン、のれん」
そう言いながら腕を前に出して暖簾を分けるその仕草。
10月生まれのその人の、10月生まれのジョンを捩ったジョーク。
当時は「レノン」と「のれん」を引っかけただけだと思っていたし、
わかったつもりで笑っていた。
まさに、「暖簾に腕押し」だったことが、今ではわかる。
柳に風、暖簾に腕押し。
風になびく枝垂れ柳のように逆らわず、
暖簾のように逆らうことなく受け流す。
江戸ことばとしても使われてきたこの言い回しに、
気づいた時には遅かった。
ひとりは1980年、ひとりは2015年、早すぎて遅かった。
1980年、小学6年の時にテレビの報道番組で知った。
音楽番組で伝えられ、中には涙している人もいた。
「誰、それ?」と思った。
中学に上がって出来た友人が兄貴のテープをダビングしてくれた。
当時はよく知らないビートルズにジョン・レノンの声が聞こえた。
英語教師から耳を鍛えてリスニング上達のために、
ビートルズを枕元で流しながら寝てみろ、と言われた。
結果はどうあれ、毎日聴いていた。
少しずつ貯めたお金でLPレコードをジャケ買いした。
緑の葉が生い茂る大木の根元に座る男と女、一目惚れした。
「ジョン・レノン/ジョンの魂」
子供には難しかったけれど、何だか心を鷲掴みされた。
ビートルズではなく、ジョン・レノンファンだった10代の終わり、
映画「陽の当たる教室」を観た。
聴覚障がいのある息子に音の振動と光で音楽を伝えようとした、
元バンドマンで夢に破れた音楽教師と取り巻く人々の感動作。
そのラストシーンで使われた曲は、
ジョン・レノンのビューティフルボーイだった。
改めてジョンの死に向き合い関係書籍を読み漁った20代、
J.D.サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も読み直した。
毎年暮れには町中で間違った解釈のジョンのハッピークリスマスが流れ、
世界で何かが起きると、イマジンが流れ、2001年には大合唱になった。
ずっとジョン・レノンは傍らにいた。
2015年は「ジョン、のれん」と楽しそうな姿を思い出しながら聴いた。
毎年10月には思い出す「ジョン、のれん」と「ジョン・レノン」
最後のシングルカットになった、スターティングオーバーを聴きながら、
晴海通りから内堀通りに入り歩き続ける。
ヒラヒラと風に吹かれるいつもの柳。
落ちるはずの季節に落ちない柳葉、
街の不自然な灯りと温暖化の影響で落ちることをやめ、
冷たい風にも、逆らうことなく、ゆれる柳。
「柳に風、暖簾に腕押し」にならないように、
風に無理して逆らわず、受け流すことのないように、
想いを馳せる2022年の10月に。
もうあれから20年。
令和四年 今年もまだ落ちない柳葉を眺めながら
栗岩稔