2022/10/04 10:00

10月になった。 

今年もあと3ヶ月、

という声があちらこちらから聞こえる。

私にとっては誕生月、

当年とって54回目のはじまりの月、10月。 

 

そもそも個人個人の人生のはじまりとなるその月は、

それぞれの区切りで、 

その人の一年の終わりとはじまりを通過することによって、

疲れや毒素が出て体調を崩したり、

出たことによって浄化したりと、

そんな時期だと考えて生きてきた。

西洋暦という全人類にとって唯一平等なモノ

「時間」で生きなければいけないこの世の中で、

そこに従順にならずに柔軟に考えながら生きてきた。

 

もちろん抗うつもりは、毛頭ない。

月齢に基づく季節の暦、

旧暦に基づく二十四節季、潮の満ち引き、

それらに則った年中行事に対しては

深い思い入れがある。 

月の引力、潮の流れなどが

影響を及ぼす季節の移ろいと自然の脅威、

人間の生活どころか、

身体にまで影響を及ぼすものと考えている。

人間が抗うことができないことを

理解することが大切だと思う。

 

もちろん、太陽も好きですよ、はい。

とても大切な存在ですから。

と、支離滅裂な私の誕生月。

あと20回を数えれば「終わり」が見える、 

というところまで来た。 

若い頃は特に何かがあるわけでなく、

漠然とした不安と何となくの期待の中で生きてきた。

5年先、10年先を想像することはできても 

「終わり」を想像できるはずもなく、

ただただ漠然とした不安の中で闇雲に生きていた。

 

当時ある人に、

今思い付いた四字熟語を言ってみてと

言われた答えを思い出した。

「暗中模索、五里霧中」

 今何気なく「漠然とした不安」と書いていると

芥川龍之介の自死した言葉を思い起こす。

若い頃は、「なんじゃ、そりゃ」ぐらいにしか思えなかったものの、

著書を読み漁り、腑に落ちた気になって、

わかったふりをしていた。 

 

年月を経て不惑の年を越えたあたりからその意味が、

何となくわかるようになり、

今では「漠然とした不安」を抱きながら、

その思いと格闘したり、受け入れて共存したり、

そんな感じになってきた。 

それもあと20回弱、正確には16回の誕生月、

10月を楽しみにしている。 

例えて言うなら、 

大好きなジャズピアニスト、

ビル・エヴァンスの数少ないソロアルバムの中で、

初期の「ALONE」を聴いて

理屈でわかったふりをしていた若い頃に、

否定的だった晩年の「ALONE again」 

今では、その作品に込められた、

到達手前の深みとその美しさを理屈抜きで体感し、

初期の作品の目指している表現の素晴らしさを体感できる。

そんな感じ……。 

あ、例えになっていないか、まったく……。 

 

令和四年 金木犀香る頃Autumn Leaves を聴きながら 

栗岩稔