2022/09/27 10:00


モノとココロの「整理」について質問された。

 

わりと散らかっているヒトだと自分では思うものの、

「思考の整理」ということで自分なりの答えを探した。

今回は、そんなことも含めて徒然と。

 

数ヶ月前のある日、打ち合わせを控えた朝のこと。

何も考えることができなくなっている自分に気がついた。

半ばパニック状態に陥り、心拍数が上がり、心は乱れ。

何とか打ち合わせの場所に赴き、その場は取り繕った。

混沌とした渋谷の街で、

混乱状態のまま、混雑極まる駅に向かい、

波にのまれるようにたどり着いた。

やっとの思いで帰宅することができた。

 

自分を冷静に診断すべく

自分のために珈琲を淹れた。

雑味が多く、苦くて、その味が散らかっていた。

次にしたことといえば、大きな紙にとにかく書くこと。

 

頭の中に混在している言葉や予定、

すべてを、書き出した。 

ようやく落ち着きを取り戻した自分に気づき、安心した。

 

冷静になって、気づいたことは、

今までは「書いていた」ということ。

 

中長期的な予定やその打ち合わせ内容、

そのための一冊のノート。 

日々の予定や行動計画、

思い付いたことや湧き出した言葉のためのノート。

市販しているスケジュール帳ではなく、無地のノート。

数日、一週間、一ヶ月の予定を自由に書くノート。

当日の朝には、その日の予定をメモに書き写す。

そして持ち歩く。 

これは今まで普通にしていたことだった。

遅ればせながら、ようやくそれに気づいた。

とても大切なことに気づくことができた。

 

男性の更年期障害の軽症状だと

教えてもらったこの日の出来事、

身から出た錆が怪我の功名になった。

 

書くということ、 それは、段取りだったり、

持ち物だったり、 思考だったり、言葉だったり。

書くことで解りやすくなり、

間違えたり、忘れたりすることはほぼなかった。

いや、無かったはず……

書くことで 

頭の中にあったモノを

視覚と触覚で再認識していた。

それに基づいて気象を見ながらの装いの準備もしていた。

https://www.kuriiwastyle.com/blog/2022/07/25/223523

 

今こうして書いている文章も

頭の中にある言葉と調べたこと、

書き留めた言葉を組み立てて、

筋書きして一気に大きな紙に書いている。

そしてまたノートに書き直し、書き直し……

そんなことの繰り返し。 

 

良いか悪いか、わからない。

ただ、こんな「思考の整理」の方法で

今まで生き残ってきたように思う。

 

長年、労働と思索の思想家、

エリック・ホッファー氏を目指す私としては、

こんなことを語り合える

「栗岩稔の人間学」的なものを開催してみようかな、

などと考えながら、今日はこんなところで……

栗岩稔的な種まきをしてきたモノを収穫してみようかな。

実ったモノがあれば、ですけれど……。 

 

令和四年 自然界では間違いなく実り多き寒露の頃に

 

栗岩稔