2022/08/16 10:00

8月になると思い出す「苦い」記憶

 

故郷の地域では古くからの教育方針で

816日には夏休みが終わった。

農作業の忙しい時期に手伝いをするための

農繁休業というものが別にあったが、

夏休みは終わりだった。

都心から遊びに来る子どもたちは

真っ最中の816日だった。

 

その短い夏休み、

義務のような強制のような水泳教室があった。

並んでホイッスルの音で

飛び込む25メートルプールの水飛沫。

水泳が苦手だった当時は

苦痛以外の何ものでもなかった。

しかも、水温が下がる8月中旬、

ホイッスルに従う水の中、

身体の芯が冷えて、唇の色が紫色に変色する、

そんな水泳教室だった。

 

夏休みの宿題。

この時期は高校野球真っ盛り、

子ども向け映画のあれこれ。

テレビの前にくぎ付け状態に

勉強の時間など割ける訳もなく……

サザエさんのカツオ君のような、

ドラえもんののび太のような……

 

お盆。

何でも仏教行事の盂蘭盆会に由来する、

家族にとっては一大行事。

両親の実家でお線香を上げるために赴くものの、

子どもにとっては夏のお楽しみ。

山に入ってカブトムシ、

追いかけるオニヤンマ、セミの脱け殻探し、

冷えた湧水で冷やされたスイカ、

もぎたてきゅうり、トマトにかぶりつき。

親戚一同、揃いも揃って故人の写真の前での食事、

極上の手打ちそば。

何だかとても大切な集まりに感じていた

すべてが楽しいお盆の行事。

関係が希薄になった今ではなおのこと、

とても大切なことだったと感じる。

 

その場で必ず始まる叔父さんの戦時中のいつもの話。

初めてのビールもその叔父さん。

その苦いだけの泡の飲み物に、

大人になっても飲まないなと思ったあの頃。

戦争のことを強く意識して考えるきっかけになった

苦いだけの泡の記憶。

 

お盆の頃にはクラゲが出るから

海水浴にはいかないと言っていた父。

日頃の仕事の疲れ、長時間を要する車の運転、

渋滞を避けるために夜明け前の出発。

現地では陽が高いうちから帰路につき

長時間の運転、後ろで爆睡する子ども。

ほんの少ししかない自身の夏休みの時間を割いてくれた父。

遊びたいだけの夏休みの子どものわがまま。

今にしてみれば、

クラゲが出るからを理由にしていた父の気持ちがわかる。

 

とにかく、子どもの頃の複雑な想いが入り交じった、

ちょっと苦手な夏休み。

苦痛と苦味とほろ苦い8月の記憶。

 

涼しい風を感じる夕暮れに

寂しい気持ちになったりもした。

苦手な夏の、終わりを迎える8月の記憶。

 

令和四年 あの頃の自分に残暑見舞いを

栗岩稔