2022/03/01 10:00

子供の頃いろいろな山に入った
今は存在しない地元の里山では
友人と探検し桑の実を食べた
父親の実家の裏山では
両親と一面のカタクリの花に感激した
父の手にはいつもスコップ、
母も何か掘る道具を手にしていた
実家の庭先には、梅、八重桜、杏、
さくらんぼ、無花果、琵琶、松の木
たくさんの草木の樹陰には 
山から持ち帰った植物があった
カタクリ、ひとりしずか、一輪草、岩松
今にして思えば採取して良いものかどうか疑問が残る
 
父の休日の朝は庭いじりと盆栽の手入れからだった
その背中を何気なくいつも見ていた
ひとりしずか、一輪草の話しを母から教えてもらった
山野草はもちろんのこと、 
ひとりしずかが好きになった
 
都会に暮らすようになって 
土の匂いを忘れていた 
四十を越えた頃に銀座の片隅で小さな酒場を始めた
初めての夏は想い描いた朝顔を育てた
一輪目の花は純白だった 
たくさん採れた種を勝手に木挽町朝顔と名付けて
お客様や近所に配った 
小さな小さな朝顔通りにしたかった
いつかの夏のはじまりに 
近所から紫陽花をいただき 
毎年大切に育てた 
打ち捨てられていたプランターの球根を育てた
とてもきれいなカラーの花が咲いた
放置された鉢の小さなアイビーを救いだし生き返った
区役所の配布会で腐葉土をもらい小さな初雪カヅラを買った
酒場で使ったグレープフルーツの種が大きな木になった
毎年アゲハ蝶が産卵に来るようになった
朝顔、紫陽花、カラー、アイビー、
初雪カヅラ、グレープフルーツ、アゲハ蝶
小さな酒場と一緒に小さな路地裏の景色になった
 
ある夏の始まりに日本を離れ海外移住を決心した美しい女性から
小さな小さな一輪の野草をいただいた
「これ、ひとりしずかって言うんです
ご存知でした?何だか好きそうに思ったから 
ひとりしずかも路地裏の景色になった
毎年たくさんのひとりしずかになった
 
銀座の街を歩いていると色々な植物を扱う店がある
町の花屋、盆栽専門店、バラ専門店、
山野草専門店7丁目周辺専門の花屋、
夜から営業する花屋、そして花売り娘
中でも、ファーストファッション旗艦店の店先の花屋
とても良いと思う 
まずは目にはいるその景色、花の香り、水の匂い
都会の真ん中だから成り立つのかもしれないが、とにかく安心する
仕事で通る道すがら、よく立ち止まり、たまに購入する
さらに良いのは、それを生ける作業が必要になること
買って来たまま置いておけるものではなく
どこに飾るか、何に生けるか、どう生けるか
そのためにはどうしたら良いか
まずは水切り作業から 
その考える時間がとても大切だと思う
特に今こんな世の中では 
 
若い頃、フランスパンと花束を持って街を歩ける男になりたいなどと
浅はかな憧れをいだいていた時もあった
今では大根やネギやゴボウが買い物袋からはみ出すように
自然に持って歩けるようになった、と思う
フランスパンも花もワインも、その日にために必要な物だから
 
昨年の夏、大切な仕事を無事終えた達成感はあった
ただ何だか物足りないまま夏が終わった
それが何なのかわからずに、ただ何となく物足りなかった
秋が深まる満月の夜にある女性に聞かれた
「今年の朝顔はどうでした?いただいた種の朝顔、今年もきれいでしたよ」
ようやく物足りなさに気がつき寂しさを感じた
反省もしたし後悔もした 
 
忙しいという字は「心を亡くす」と書く
とても大切なことを忘れていた
忘れるという字も「心を亡くす」
そろそろたくさんの花が咲く季節になる
そしてすぐに夏が来る 
 
 
令和四年 柳の新芽が美しい季節に
栗岩稔

 
Photo:Kazumi Kiuchi